マニュアルがないと語れない

自分の言葉で語りたいけどマニュアルはないのか、ということになります。『ストーリーテリング入門』に書いてあるので、それを参考にと言うと、もう少し詳しいやりかたを知りたいという気持ちになる方も多い。

おちついて、もう少し引いて考えてみて。
「マニュアルに書いてあるようにやる」は「本に書いてある通りに語る」にダブりませんか?

「本を読んで内容を掴んで、自分でマニュアルを作り上げる」は
「本を読んで内容を掴んで、自分の言葉で話を作り上げる」にダブりませんか?

つまり、詳しくて正しいマニュアルを求めているうちは、自分の言葉で語ることはできない、のです。幾つかの本から内容を取り出して、失敗してもいいから自分で試行錯誤するしかないのだと思います。試行錯誤の状態で本番を迎えてもいいし、そもそも本番とは、ある節目でしかないと思ったほうがいい。そのために不安や失敗覚悟で個人で立て、ということです。

 自分の子どもを育てる時、いちいち本を確かめながら暮らしましたか?そうではなく、一度読んで心のどこかにあったかもしれないけど、目の前の子どもを何とか健康にと、それが中心ではなかったでしょうか。不安と失敗だらけでした。


絵本を選ぶことにしたって、「自分なりの選書方法」を講座にして人を集める講師もいるでしょう。でも、「その講師独自の見分け方」「講師個人の研究発表」をマニュアルにして選びますか?まともな講師なら「選び方」として内容まで踏み込んで上下に区分けするようなことはしないでしょう。それは受け手の想像や判断力に踏み込むことになるからです。
「次はいついつ教えてあげるから、それまで待っていてね」というのは、大変相手に失礼なことで、自分に依存しろということにもなりかねません。

 私たちは紙芝居ボランティア講座をやりますが、具体的にこうやっている、とか活動の意義とか、そういったことしか話せませんし、またそれ以上いろいろ言っても 結局現場で判断するのは個人的なことですから余計なお世話ですね。めいめいがその情報を噛み砕きながら活動していくのみです。あとは会に報告して他の人の肥やしにしてくだされば充分。「私はこう思う」「約束は守ってね」くらいのことは言いますが。

 まあ、私が間違っているかも知れませんが。本を読んで、その上に講座を受けて、権威ある講師の言うなりになった、苦い過去を思い出してほしいです。
自分で依存の根を切らなくてはなりませんし、講師は相手を依存させるような振る舞いをしないようお願いするばかりです。

 
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