新潟市の図書館の児童サービスに関係して、昔から奇妙な習慣があるということはご存知の方も多いかと思います。図書館を退職した、あるいは退職前の職員が、私設の図書館を作ってそこを運営したり、関連団体のスタッフになる、ということです。土木関係で有名な天下りですが、随分前から、私は「それって天下りじゃない?」と思っていました。
再就職そのものに問題はないですし、無報酬かも知れないのですが、そのことで利権が温存される弊害が生まれることはご存知の方も多いはず。そのスタッフが市立図書館のボランティアを教育するために絵本講師をするということが頻繁に起こってもいます。税金がその施設に流れ込むことになります。
それって、官民の癒着・利権の温存そのもので、既得権益の確保に血眼になっているように見えます。読書推進の他に、地域の暖かい居場所として機能してほしいもの。そのことが回りまわって活字や言葉に親しむ方向に行くような気がするのです。そのためにはそういう蔵書構成も必要かと思います。「無駄なくまっすぐ良い本に」というのはせわしなかった近代化のある種の側面でしかないですね。
運営も、一般のボランティアとして市民の意見を取り入れ寄り添うという立場に立ってもらえないでしょうか。もしかしたら、そうなっている最中かな?私の個人的な意見ですが。
もう少しつっこみます。新聞社が作った絵本の施設に再就職し、「絶対に良いものしか置かない」というスタンスで運営されているところもあるそうです。ブログに書かれた方がおられて助かりました。県民の皆様とともに、というスタンスではなかったかな。
天下りを検証・追及するマスコミが、自らせっせと天下りの温床を作っているように思えるのですが、それだとチョー かっこわりぃ、くないですか?
もちろん長年つちかわれた見識や技術は大切ですが、「大人から見てよい本だけ」というのは子どもの権利を侵害している面が大きく、子どもの権利が謳われ出した以前に自分が受けた教育を引きずっている可能性が大きいのです。
そして、利用者は一般市民です。絵本好みのおばさんの巣になっては、若い親子はドン引きます。それから講演で「石井桃子がこう言っている、松岡享子がこう言っている」の羅列ではいけないですね。聞き手は「で、あんたはどうなのさ」と内心突っ込んでると思いますよ。「良い本」に興味を示さないわが子に親がうろたえる、てなことにならないようにしなくちゃ。息苦しい子育て環境をゆるやかにしていくお手伝いをしませんか?その中で子どもは自ら育っていくように思えるのです。
大先生の教えを広げるのは排除の論理が働き、人間そのものが排除大好きになっていきます。それではただの宗教でしかありませんね。今を生きる保護者や子どもを応援するために、自分がまず膝を折ることは、ちっとも恥ずかしいことではないはず。