PISA型学力

何だかあいまいな書き方ですみません。
随分前から教育ビジョンのようなものはPISA型学力、というか、メディアリテラシーというか、(ほんとにいい加減ですいません)、自分で目標を決め情報を活用して理論を組み立てそれを表現していく能力を養う方向に来ていませんでしたか?
だから、もう「アレがよくてコレが悪い」「みんな一斉に良いものを目ざす」ものではないはずだよね、とずっと思っていました。
 絵本の読み聞かせをする時も、子どもが情報(本)を活用しやすいように、情報を平らに分類し提示して、そこから子どもが何か表現、とまでは行かないけど何かの反応を返すようなスタイルが「教育的」なんじゃないかと思っています。

「紙芝居の窓」ブログに以前「選書」として書きました。古典になりそうなものを核にして同心円を描くような従来型の《目玉焼き型》、と、ピサ型とちょっと名前が似ているが全ての情報をタイプ別に分類して個性が現れているものをチョイスする《ピザ型》。これからはピザ型でどうでしょう。
 ですのでこれからのボランティアさんは、良いか悪いか大人が判断するのでなく、本の分類をしながら特徴をつかみ、子どもが自由に感じられる環境を作る方向に行くべきじゃないでしょうか。

今回、西区の絵本講座に関ることになり、方向をそっちに向けなくてはならないと判断し、今までの「これが良い本です」ではなくて、ボランティアさんが客観的に本を情報ととらえて分類して満遍なく提示していけるようにレジュメを作りました。あとで投稿します。いままで「20年以上読み継がれた本が良い本」と言われていたものを、「20年神話」と分類して、新作と対等に並べました。

 今まで新潟市周辺、長岡市などでは「良い本はこういうのですから、選び抜いて子どもに与えて共有しましょう」的な講座が行われてきているので、それとは違う道を行くことになります。私が責任を持つつもりで、しっかりレジュメに書き込んで、新しいボランティアさんがやりやすいようにしました。もちろん、急きょ休まなくてはならない事態を想定して予防線を張るボランティアの習性もあり、その他にレジュメが独り歩きしてくれることを願うという理由もあります。今までの絵本講師は「活字が一人歩きする」と言って自分の言葉を文字にしませんでした。その考え方とも逆を行きます。本は、絵本であっても、自分の思いを絵や活字にして一人歩きさせるものなのですよね。そこを否定したら読み聞かせなどできはしません。

 絵本講師は絵本の棚を眺めて「見るべきものがないわねえ」などと高みにのぼるのではなく、どんな本でもその中から光るものを自ら見つけていかなくてはなりません。それは人に対しても同じことで、どんな人からもその個性を見つける気持ちになるだけで、相手は自然に自分から伸びていくものです。伸びる方向がたとえ講師自身が気に入らない方向であっても、我慢しなくてはならないのは講師自身でもあるわけです、よね。


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