ブックスタートに線画絵本を

ブックスタートの絵本は、今年は『くだもの』『おつきさまこんばんは』『ぴょーん』だったと思います。私はそのボランティアをしていないので、選書について推測で言います。また、「過不足なく」というスタンスで選ばれたことは、高く評価します。

文や全体の構成で区分けすれば、
参加型(語りかけ型)の認識絵本、物語型、参加型(体を動かす)オノマトペ絵本、となり、
リズム感と繰り返し、簡潔な言葉の本が選ばれたのだと思います。
絵の表現で区分けすれば、
リアリズム、印象派風(アニミズムもあり)、デザイン画風、ということになります。

ところで、絵の表現について、最近、ハタと気がついたのですが、線画のものがありません。全て、面に対する彩色の画法で、ある意味、大変な不足であると思うのです。これについて、詳しく意見を言います。
 私が二十年近く前に読み聞かせ講座を受講した時の選書の注意に、絵について、
「マンガ風のはだめ」というものがありました。正確にそう言われたわけではありませんが、「子どもには最高のものを」という見地に立ち、線で描かれた物は、色塗りが未完成なので手抜きである、という言い方でした。「白く塗り残した部分があるような」ものは、子ども相手だからといい加減な仕事をしている、そうではなく真面目に作られたものを与えましょう、ということです。
大人の評価に耐えられるもの、という言い方もあったと思います。
 もちろん私は仰天しました。けれど当時の私は「子どもには最高のものを」という言葉に反対を申し述べるための理由など構築できもせず、反対意見を言うこともなく、話半分にしてやり過ごしました。とりあえず、ほどほどそこそこにやればいいかな、と思いました。『ぐりとぐら』や西巻茅子、堀内誠一など、線画タッチの絵本も、作家の経歴が一流なせいか、絵本講師の皆様は何の抵抗もなく褒めちぎって紹介しているのですから、なんのこっちゃ、という感じです。

 線画を大切にしたい理由は、子どもの研究をすればすぐに分かることです。ブックスタート選書係の中には教育学部(教育人間科学部)の関係者もいたのですから、子ども研究を照らし合わせれば「線画」の大切さは分かったのではないでしょうか。子どもはまず、ぐるぐる線やぱっぱっと点を描いたりして遊び始めるのです。これが原点とも言えます。作り話かと思われるかも知れませんが、私に保育園に入る前の記憶があります。丸を描いて遊んでいて、そこに点を二つ描いたら「ヒトノ カオニ ミエル」ととても嬉しく思ったという記憶です。
 美術教育で指導されることにこんなことがあります。物には縁取り線など存在していなくて、ものの区別によって識別されるのだけれど、まず線を描いておいて、それに陰影をつけ、形にしていくのだという理論(?)のようなものです。その講師は、教育学部の美術の分野でなくても、教育を学問にするのなら、その方面の本の1冊も読むのが当たり前というもの。クロッキーや石膏デッサンを想像すれば、そのことが理解できるでしょう。
 そして、子どもはイメージを絵にしますから、その基本である線の表現は子どもの表現として当たり前というか、子どもの世界でもあるのです。子ども文化であると言い換えてもいいかと思います。子どもに届ける本として、線の表現で書かれ親しみの持てる画風であれば、線が見えなくなっている画風よりも、より子どもに近いものだと思います。『ぐりとぐら』が子どもに好まれるのは、そういった部分がその当時の絵本に少なかったことと関係があるのではないかと思っています。いわゆる「近所のお姉さんが、ちょこちょこと、アスファルト道路にチョークで描いたような」絵だからです。本になるまでにはいろいろな検討がされるでしょうが、絵から漂ってくるものは、その素朴さです。
 『ぴょーん』を開いてみれば、動物が飛び上がった部分が、線で引かれています。目に見えない部分を動的な線で表現してあり、躍動感が得られます。まさに線画が部分的に残っているのです。今の親の世代に支持され、子どもにもイメージが膨らみ易い大切な部分だと思うのです。

また、絵が描けないという子どものために、○△□を組み合わせて物の形をつかんでいくという教育法があります。ほんぽーと名誉館長の黒井さんなどはそのことをよくご存知ではないかと思います。

 直接的な知識(この場合は‘絵本‘)だけでなく、人間科学をあわせることで教育にしていくのだというのが、前のページで書いた、「新潟大学教育学部が教育人間科学部」に十年間なっていた理由でもあるのです。この講師はそのことを知っていたのでしょうか。
 ちなみに、図書館の人に言っても相手にされなかったのでここに書いておきますが、私の家にある新潟大学教育学部の 教授や非常勤講師の一覧表には、その人の名前はありませんでした。つまり、名簿は何種類かあって、別のリストにはあり、在野の学者だということでしょう。ファームにいるという利点を生かして、自分で現場に出て、現場の人を指導するのでなく調査して、そこから前に進む道を模索するのがその人の役割だと思います。
 でも、図書館やボランティアには、ちゃんと一軍で仕事をしている人から情報をとったらどうか、と言っておきます。

 私は「良い絵本を見つける簡単な選び方」を嬉々として説いた、大勢の絵本講師をどうしても許すことが出来ないでいます。けれど世間は、私が「許す許さない」ということなど関係なく進んでいくのでしょう。それは、受け入れています。
 でも、今までと違うものを作ろうとか、物を考えたりすることは、誰にも止められません。良いかどうかは受ける人が決める、良いかどうかは、まず見てみなくちゃ分からないし、良し悪しは人によって違うのです。図書館やボランティアや保護者は、まず見るという権利を、子どものために保証しなくてはなりません。私が、批判を受けても、前ページのように、下読みもそこそこに紙芝居をするのを認めたりするのは、世の中にはいろいろなものがあるという不思議、また、成長する最中の状態を表に出して、子どもに見せてそこから学んで欲しいからです。
 
 

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 実演記録42... 日報夕刊に紹介 »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。