図書館・語り・紙芝居・集団相手の絵本よみ・ボランティアなどについて書きます。
絵解きボランティア
『ベーシック絵本入門』
ジュンク堂の棚で『ベーシック絵本入門』生田見秋・石井光恵・藤本朝巳/編著(ミネルヴァ書房)という本を見つけて、買わずに(すいません)、借りて読んでいます。「ベーシック絵本」という「ベーシック」の文字が小さいので「絵本入門」とも読めますね。
1、良かったなと思う点
① 「ベーシック」という言葉がいいですね。
ベーシックだから「先に行ってもいいし、元に戻っていもいい」という気楽な受け取り方ができます。
私たちが新人教育(絵本の会で)をするときに、あっちこっちの資料をかき集めてくる苦労が、これ一冊で解決したような、そういう気分になりました。
「読み継がれた本」「良い本」「基本図書」・・・なんだかエラそうな雰囲気が、「ベーシック」という言葉で安心して伝えられる気分です。
服を選ぶときに、どうしていいかわからない時になんとなく選ぶ服、とりあえず必要な服、着ていて飽きない服、そういった雰囲気のあるベーシック、ですね。もちろんベーシックな服に執着する人もいるでしょうしね。それから、冒険した服を着ていって「とにかくベーシックにしなさいよ」と言われて反感を持ったり、そういうこともあるでしょう?そういうことを、自分の心の中で解決できる「ベーシック」という言葉です。
②昔話理論が、「マックス・リュティ」の理論で、小澤俊夫は訳者だとすんなり理解できる書き方がされている点。
小澤氏のことは別にたくさんの業績があるのだからそれはそれで尊敬し、「小澤理論」としてやたら個人が崇拝の対象になっていることにうんざりしていました。個別講義とか昔ばなし大学とか、他の人にはよくわからない部分で「それを受けた人しか昔話は語れない」とか、暴走気味の新潟市です。数年前に新潟市の人が編集した昔話の本を見ても、個人への畏敬の念ばかりが前面に出ていて驚いた記憶があります。
③ 巻末が良い
とくに絵本の年表がお気に入りです。もしかしたらそういうものはすでに何かの本に書かれていたかも知れませんが、主な絵本のタイトルが並べられた年表を見て、頭の中が整理されたような気がしました。年代を追って比較しながら眺めるのは楽しいですね。
④ 1対1など個人相手に読み聞かせることを「読み合い」、相手が集団のときは「読み聞かせ」と区別されたこと。
きれいで知的なボランティアとして人気がある「読み聞かせボランティア」ですが、そういう区分けがされて、目的に合った方法が選択されていく第一歩だと思います。
2、不満に思う点
① 名作絵本の解説
名作絵本の解説は巷にあふれています。司書が一生懸命解説するのを何度も聞かされました。私たちは「そうですね」と読み込むのですが、やがて「・・・で、他の本もそれはそれなりに違う良さがあるよね」と思うのです。入門編として必要なのでしょうが、いつも同じ切り口ですから、新しい見方を切り開いてくれるといいのに。このブログも「円環構造」などのキーワードで検索されています。絵本の構造からの切り口はどうでしょうか。
② 「出会うものが優れていれば子どもは幸せ」という、皆がひれ伏すような常識
(一番最初に出てきました。わたしはこれを疑っています)
子どもに銀の匙を咥えさせなさい、と言われているような気がします。そして、子どもの頃、銀の匙を咥えて成長されたと思われる「絵本講師」の皆様・司書の皆様の、無邪気な傲慢さを思い出すのです。
幼いころに出会ったものを「良いもの」と思い込んでしまうことはよくある話。だから、自分の幼少体験にこだわらず、スプーンも、その場に応じて銀だの木だのシリコンだのを選べるように柔軟に対応するほうが大事なような気がします。
「出会ったものが優れていたから自分たちは成功者になれた→ → だから優れたものを子どもに出会わせれば子どもは幸せ」という論理は、自分の生い立ちを肯定したい潜在意識の現れのようですね。幸せなのは子どもでなく、そういう階層の大人(自分)ではないでしょうか。子どもの頃、当時としては近代的な絵本を与えてもらった自分たちが幸せだ、と言いたいだけではないか、と思えます。
逆に、銀の匙に馴れきってしまった子どもや大人は、「自分は正しい」「他は間違い」という考え方になっていくと思う。何でも上から目線で評価する気分になり、その結果、自分さえ良ければの論理で異物を排除するようにもなってきています。
それに、「出会うものが優れていれば・・・」という常套句は、宗教的で、科学的ではないような気がします。検証されているんだろうか。絵本を科学する「絵本学会」らしくないような。「神の国日本」「あの国は大量破壊兵器を持っている」・・・検証されないまま戦争に進むときの「美しい言葉」ですね。
新潟市の図書館がやる絵本講座ではこういう「子どもの幸せのために」みたいな説明を、今でもされることでしょう。ボランティアは「聖戦士」のような気分になるのです。そして絵本を異様に崇拝していくようになります。絵本は道具だっていうのにね。
私は、逆説的に思っていました。「古典ばっかり崇拝していると、その程度の想像力しか持てず、検証する意識もない人間に育つんじゃないだろうか」って。
「~~~であれば 子どもは幸せ」って気軽に言っちゃう人って、人間を甘く見ているっていうか、見方がすごく狭いんじゃないかって疑いたくなります。「両親揃っていれば子どもは幸せ」「五体満足なら子どもは幸せ」と聞くような胡散臭さ。この感覚で研究しているのかと、ちょっと背筋が寒くなる。「幸せは一通りか」という疑問も付け加えさせてもらいます。
③ 「集団相手の読み聞かせ」の特殊さ
相手が20人も30人もいる時は、「読み聞かせ」でもさらに特殊な状況になるということを、この本を書いた方は理解して下さるだろうか、という心配があります。ホフマンの『いばらひめ』があまり子どもに届けられていない、という問題に対しても、「遠目が効かない」「長い」という理由はすぐに思い当たるでしょう。
原因は、個人的に楽しむための絵本という文化財を、紙芝居のように集団に使うという方法がボランティアに教育されてしまったため、ではないでしょうか。紙芝居はストーリーテリングですから、美しい微細な表現よりも、はっきりとずんずん結論に向かっていく力が必要なはず。
「木に竹を接ぐ」ようなやり方を推進した図書館が、早く修正したほうがいいと思います。
それに、今の保育士は「子ども目線」に立つことをよく理解していて、おまけに人手不足ですから、ああいった「大人が与えたい文化」にまで手が回らないんじゃないでしょうか。「出会うものが優れていれば・・・」と叫ぶよりも、大人が与えたい文化を届ける別の方法を、現場で先頭に立って研究して欲しいですね。
④ 時代背景や子どもの生理は参考にしないのか
「わび・さび」の室町文化、「豪華絢爛」の桃山文化。長い歴史の中で、人々が無意識に求めるものは世の中に影響されているような気がします。
また、(私が言うのも変だが)子どもの目や脳の生理的成長のこともあるでしょう。自分の幼いころを思い出すと、渋い色合いが好きだった頃、原色にひかれた頃、水森亜土のようなイラストに憧れたりリアルな細密画を何枚も描いたり、いろいろありました。地味なものだけが良いものという物差しは、絵の世界に当てはまらないと思うので、出版する人は無心に(そうも言っていらんないだろうけど)いろいろ挑戦してみればいいのに。
⑤ 語り変える理由について
昔話の登場人物は「紙人形」のように実体をもたない、というのが昔話の語法ではなかったでしょうか。狼の話が温暖化して間抜けな感じになったとしても、昔話であればそういう表現もあると思うのです。銀ではなく木の匙を咥えたような庶民が気楽に楽しんだことで受け継がれてきた「民話」ですから、「なんでもあり」は当たり前なんじゃないかと思います。語り変えの理由を「売らんかな」といつも書かれていますが(ここでも考えの硬直化が)、「子どもの文化に合わせるため」なんだと思います。伝える相手の文化に寄り添うのは当たり前ですよね。いずれにしろ支持されなければ自然に消えるでしょうし、そんなに目の敵にしなくてもいいのに。
実体をもたないという昔話理論を持ち出しながら、一方では狼の特質が変えられていてけしからんと批判するのは、理解しがたいのです。私たちがボランティア教育で昔話の重要さについて聞いた時に、こういった「あっち立てればこっち立たず」みたいなことはしょっちゅうでてきます。私のような末端ボランティアは「あっちをたてて選書すればこっちの物差しで批判され」「こっちをたてて選書すればあっちの物差しで批判され」、つまり、目障りな人を攻撃する時の材料になるんですよね。講師様に反論するのもだるいので「・・・それってさっき言ったことと食い違うよね」と心の中でつぶやくだけ。
昔のものをなんとか伝統として継続させたいと思っていらっしゃるのでしょうか。世の中の右傾化が止まらないというのは、なんとなくわかります。変えられなかったから「民話」はすたれていったのではないかというのが、私の考えです。自由に語れないから語る力も弱くなって。自由に語るから失敗もするし、その失敗を許せない世の中になっているので、失敗を笑いに転換する度量も必要かも。
言葉のリズムについても同じことが言えると思います。日本人が快く感じられるリズムがある程度分かっていて、そこから外れると「ダメな絵本」となる。でも、一人一人の人間の身体は違うから、違うリズムが気持ちがいいということもあるでしょう。
せめて民話は、パロディや語り変えが自由にできるようになるといいと思っています。参考にした資料はどこかに記録するけどね。
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