安藤昌益「自然真営道」

安藤昌益「自然真営道」

我田引水・付け焼刃で書くことにします。明和義人の本をいろいろ調べた時、書いてあったので心に残っていました。
江戸時代、勤労農民の立場から、身分・階級・性差別を否定して、自分で働いて生活するというような理想の社会を説いた、学者の理論です。封建制の時代には危険思想でしょうから、隠され続けてきたそうです。

 今で言えばアナーキズムのような、革命的な思想でしょうか。エコライフの思想として捉える方も多いようです。戦後マスコミをやめて地方で書き続けたジャーナリストや、田舎に住む哲学者、などを思い出します。
私は、この考えは、ほんとにボランティアの思想だなと、思っています。現代は、農業と言えば土地を持てるある意味リッチな人のことになってしまいましたので、少し意味を広げて考えています。

 ボランティアって肩書きに左右されないし、もちろん年齢や、性別でも、そういう上下関係はありません。普通の、ただの人になって、自分の思いに添って、できることから勝手連的に働いていく。農業みたいに体を使って、自然の感覚を受け入れて、生の現実にせっせと対応していくみたいなとこ、ありますよね。

 美しい日本語を届けたい方々も、肩書きのないただの一人になって、相手の望む物を受容し、状況にあわせ、自分の思いを静かに乗せて、届けてみたらどうでしょう。相手の喜びと自分の満足が収穫物です。自然に対応する農業と同じ感覚ですよね。今、そういう人たちがとても多くて、すでにやっているんですよね。他人に「やれ」と言った時点で指導者感覚になるので、まず自分からやるのです。
 それからもちろん雑用も自らやって、現実に対応する感覚も養うといいと思います。まず、会の中でボランティアするから、外部にも出来るんですからね。

 ボランティアは上下がありませんから、偉い肩書きの方も対等に見ます。言われたことは上からのお達しでなく、意見として対等に評価しながら考えますので、偉い人の言うなりになることはありません。そのことは、今や講師級の先生方は、みなご承知だと思いますが。

 ちょっと見た目は、無償奉仕者で何も考えていないように見えます。そんなせいでしょうか、人によっては、マスコミやお仲間の中ではきれいで知的かつ良心的な発言をしても、自分より下(と思われる)私たちボランティアに向かって支配者気分で暴言を吐く人もいます。自分の家来だと思う方、困ったらボランティアを「使えばいい」という人、その中で王様になりたい人、プロよりただ能力が低い人だと思う方。そういった人のことはしっかり覚えて、それなりに自然に対応させていただきます。お金にあまり関係がないのでしがらみがなく、本音で動きますのでね。

 勤労農民ならぬ現場から、変えていく力がボランティアだと、考えてくださるといいのですが。そういうのって、理想ですし、民主的ですよね。
 
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