鴨着く島

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原口泉氏の講演会

2018-11-23 10:40:51 | おおすみの風景

昨夜(11月22日)、鹿屋市吾平町の吾平振興会館大ホールで、近世史学者でNHK大河ドラマ「西郷どん」の時代考証でおなじみの原口泉氏の講演会があった。

だいぶ以前の「翔ぶが如く」でも担当しているので、鹿児島関連のドラマの時代考証といえばこの人を措いて余人はいない。

講演前のプロフィール紹介によると、1947年生まれの71歳で、アメリカの州立大学の付属高校に留学した後、県立甲南高校を経て東大の国史科と大学院を出てから鹿児島大学で長い間教鞭をとった。その間、上のような仕事を多くこなして鹿児島のみならず全国に知られる研究者となった。

現在は志學館大学教授兼県立図書館長の要職を担っている。著書多数。今年は西郷どんに関わる講演も多数要望されてあちらこちら飛び回る忙しさだそうである。

 

講演の冒頭、母方は曽於郡大崎町の出身だということ、同じく薩摩藩研究者であった父・原口虎雄氏が昭和32年頃に吾平町の旧家(郷士)のМ家の古文書を調査にやって来た時に連れられて様子を見ていたことを話された。

また、そのあとに発刊された「吾平町史」の監修を父の虎雄氏が請け負った際に、吾平町のたたずまいを「美(うま)し里」と表現したことで、それが吾平町のキャッチフレーズになったそうである。今でも「美し里・吾平」のフレーズは生きており、吾平町内の幟り旗などによく見かける。

この講演のタイトルは「明治維新150年を迎え、吾平山上陵の魅力を語る」で、吾平山上陵については、昭和天皇の御親拝(S11)、北白川房子の参拝(S36)、そして現天皇が皇太子時代に美智子妃と参拝(S37)などを挙げ、皇室との縁の深いことを指摘。

この後は山陵そのものについての話はなく、主に大河ドラマの舞台裏的な話が中心となった。それはそれで面白いのだが、自分にはやや物足りなかった。

それでも箇条書きにすると、次のような話が印象に残った。

1、大河ドラマは歴史的事実そのままではなく、ドラマの良さはそこに血の通った人間同士の歴史を表現し、見る者に感動を与えるのを主眼としている。

2、神話は祖先が作った大ドラマに他ならない。

3、若い人は祭りが好きである。祭りは人を和合させる力がある。

4、「門前町」というのは、そこに必ず名物がある。柴又帝釈天の「草団子」、伊勢神宮の「赤福」など。吾平町の目抜き通りに「鵜戸神社」があり、それを目当てしたらどうか。

5、鵜戸神社境内にある忠魂碑(戊辰・西南・日清・日露戦役)には、戦没者とともにどこで戦死したかも刻まれているから、吾平町の人たちもそこに先祖を見つけ、歴史を振りかえり、先祖を敬うよすがとしたらどうか。

最後に、思いがけない指摘があり、蒙を開かれた。

6、明治4年に廃藩置県があり、最初の鹿児島県令になった大山綱良は、鹿児島城下の藩士等の有する古文書類をすべて焼き捨てさせた。それで鹿児島城下には島津氏の古文書しか残らなかった。

このため、武士の日常的な事柄を記録した文書類は地方土着のいわゆる「郷士」の家にしかなくなり、泉氏の父・虎雄氏は藩政時代の武士の農事記録等を吾平町の旧家(郷士)に頼った。

隣の高山町(現在は肝付町高山)の旧家「守屋家」の古文書を調査研究し、鹿児島藩政時代の薩摩藩特有の農業経済事情をあきらかにしたのは、九州大学教授の秀村選三博士で、この業績により秀村博士は学士院恩賜賞を授与されたが、そのことにも触れていたのはさすがだと思った。

 

講演は話があちこちに飛びまくり、一般聴衆は何が何だか分からないが、まず、それ自体も面白おかしく感じたに違いないようで、笑いが何度も起きた。講演者の人徳なのだろう。聴衆を飽きさせない話術も光っていた。