インターネットで調べると沖縄の新聞が読める・・・というか電子媒体によるニュースの速報のようなものだが、それによるとこの一年で辺野古海岸埋め立ての進捗率は米軍辺野古新基地全体の埋め立て量のわずか1.1パーセントだそうだ。
この分で行くと、辺野古新基地を埋め立てるだけであと90年かかることになる。埋め立て終わっても滑走路等の基地整備に数年はかかるだろうから、100年という超長期の建設ということになる。
そうなると気の毒なのは普天間基地周辺の住民である。もともと辺野古基地の新設は「世界一危険な」普天間基地の代替なのであるから、完成までのあと100年近くも普天間基地が使われることを意味するわけで、これでは沖縄県民も怒り心頭だろう。
そもそもあと100年も先に米軍が必要なのかーーの議論が起こるはずである。
大雑把に米軍の存在に賛成する階層は二つあり、「東アジアは政治的に非常に不安定であり、米軍の存在があってこそ日本の平和は保障されている」――と考える保守層、もう一つは「米軍が駐留することで日本が再び軍事大国にならないで済んでいる。自国軍は最小限でよい」ーーと占領時代の米国の考えに近い革新層がある。
結果的にはどちらも日米安保(米軍駐留)を容認している。
こういう人たちに聞きたいのは日米安保がある以上米軍の駐留はあるわけだが、あと100年も駐留させておくのかどうかということである。
トランプ大統領があけすけに言うように「日米安保は片務的すぎる。米国が攻撃されても日本は助けてくれない。こんな条約はおかしい」のである。だから駐留経費をもっと出さないと米軍は引き上げるぞ――とは彼の喉元まで出かかっている言葉だ。
このようにしてアメリカは言い値で駐留経費の上乗せをしつつ、同時に多彩な先端武器群を売りつけるだろう。過去もそのようにしてきた。
いま日米安保が問われている。
辺野古基地の問題を眺めていると、日本は軍事的にはほぼアメリカの属国だということが明確になる。そして外交も。
安倍さんが総理になった際に「自分の代で終わらせる」と真っ先に公言した北朝鮮の拉致問題もトランプ―金正恩会談とその後のぎくしゃくでうやむやになったままだ。そこには独自の外交というものがない。北方領土問題も同じで、プーチンは率直に「日米安保がある以上平和条約締結は無理」と言っている。
要するに日米安保を抱えたままの外交に日本の独自性は無く、他国からは米国の傀儡政権視されているから、日本の真意が伝わらないままなのである。安倍さんには「戦後」を本当に終わらせてくれる人物という期待が少しはあったのだが、もう期待できないのだろうか。
総理の首が吹っ飛んでも成し遂げて欲しいのが「安保廃棄」であり、そのうえで我が国を専守防衛力を保持した永世中立国宣言をするのが最善だろう。
ポツダム宣言(全13項)の第12項には次のように書かれている(文中のカッコは引用者による)。
12、日本国民が自由に表明した意志による平和的傾向の責任ある政府の樹立を求める。この項目並びにすでに記載した条件(第1項から11項まで。武装解除や領土の範囲などの条件)が達成された場合に、占領軍は撤退すべきである(占領軍とは今日で言う国連多国籍軍のことだが、ほぼ米軍だった)。
1951年のサンフランシスコ講和会議で日本の国際復帰・自立が認められ、英米の占領軍(多国籍軍)は引き上げていったが、同時に結んだ日米安保(旧安保)によって米軍のみの駐留が続けられ、さらに1960年の日米安保(新安保)により米国の世界戦略(冷戦)に組み込まれることになった。
1987年にソ連邦が崩壊し、1989年には東西ドイツが統一を果たして自由諸国が勝利し、デタントは格段に進んだにもかかわらず、日米安保が変えられなかったのは不可解だ。
その時点で安保を解消し日本が独自の協調外交に出ていれば、今日のような東アジアの不安定はなかったのに、残念なことである。
今からでも決して遅くはない。日米安保廃棄。永世中立国宣言。(辺野古基地はその時、米軍から自衛隊に引き継がれるか、もしくは基地建設そのものがストップになる)
「憲法9条に自衛隊を明記します」なんて小手先なことをやっていないで、世界の中の日本という立ち位置を確固とするためにも上の二点をぜひ俎上に載せてくれよ、安倍さん。
世界はそれを待っている。
この分で行くと、辺野古新基地を埋め立てるだけであと90年かかることになる。埋め立て終わっても滑走路等の基地整備に数年はかかるだろうから、100年という超長期の建設ということになる。
そうなると気の毒なのは普天間基地周辺の住民である。もともと辺野古基地の新設は「世界一危険な」普天間基地の代替なのであるから、完成までのあと100年近くも普天間基地が使われることを意味するわけで、これでは沖縄県民も怒り心頭だろう。
そもそもあと100年も先に米軍が必要なのかーーの議論が起こるはずである。
大雑把に米軍の存在に賛成する階層は二つあり、「東アジアは政治的に非常に不安定であり、米軍の存在があってこそ日本の平和は保障されている」――と考える保守層、もう一つは「米軍が駐留することで日本が再び軍事大国にならないで済んでいる。自国軍は最小限でよい」ーーと占領時代の米国の考えに近い革新層がある。
結果的にはどちらも日米安保(米軍駐留)を容認している。
こういう人たちに聞きたいのは日米安保がある以上米軍の駐留はあるわけだが、あと100年も駐留させておくのかどうかということである。
トランプ大統領があけすけに言うように「日米安保は片務的すぎる。米国が攻撃されても日本は助けてくれない。こんな条約はおかしい」のである。だから駐留経費をもっと出さないと米軍は引き上げるぞ――とは彼の喉元まで出かかっている言葉だ。
このようにしてアメリカは言い値で駐留経費の上乗せをしつつ、同時に多彩な先端武器群を売りつけるだろう。過去もそのようにしてきた。
いま日米安保が問われている。
辺野古基地の問題を眺めていると、日本は軍事的にはほぼアメリカの属国だということが明確になる。そして外交も。
安倍さんが総理になった際に「自分の代で終わらせる」と真っ先に公言した北朝鮮の拉致問題もトランプ―金正恩会談とその後のぎくしゃくでうやむやになったままだ。そこには独自の外交というものがない。北方領土問題も同じで、プーチンは率直に「日米安保がある以上平和条約締結は無理」と言っている。
要するに日米安保を抱えたままの外交に日本の独自性は無く、他国からは米国の傀儡政権視されているから、日本の真意が伝わらないままなのである。安倍さんには「戦後」を本当に終わらせてくれる人物という期待が少しはあったのだが、もう期待できないのだろうか。
総理の首が吹っ飛んでも成し遂げて欲しいのが「安保廃棄」であり、そのうえで我が国を専守防衛力を保持した永世中立国宣言をするのが最善だろう。
ポツダム宣言(全13項)の第12項には次のように書かれている(文中のカッコは引用者による)。
12、日本国民が自由に表明した意志による平和的傾向の責任ある政府の樹立を求める。この項目並びにすでに記載した条件(第1項から11項まで。武装解除や領土の範囲などの条件)が達成された場合に、占領軍は撤退すべきである(占領軍とは今日で言う国連多国籍軍のことだが、ほぼ米軍だった)。
1951年のサンフランシスコ講和会議で日本の国際復帰・自立が認められ、英米の占領軍(多国籍軍)は引き上げていったが、同時に結んだ日米安保(旧安保)によって米軍のみの駐留が続けられ、さらに1960年の日米安保(新安保)により米国の世界戦略(冷戦)に組み込まれることになった。
1987年にソ連邦が崩壊し、1989年には東西ドイツが統一を果たして自由諸国が勝利し、デタントは格段に進んだにもかかわらず、日米安保が変えられなかったのは不可解だ。
その時点で安保を解消し日本が独自の協調外交に出ていれば、今日のような東アジアの不安定はなかったのに、残念なことである。
今からでも決して遅くはない。日米安保廃棄。永世中立国宣言。(辺野古基地はその時、米軍から自衛隊に引き継がれるか、もしくは基地建設そのものがストップになる)
「憲法9条に自衛隊を明記します」なんて小手先なことをやっていないで、世界の中の日本という立ち位置を確固とするためにも上の二点をぜひ俎上に載せてくれよ、安倍さん。
世界はそれを待っている。