鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

『武器よさらば』ヘミングウェイ

2021-03-17 13:05:56 | 日記
一週間ほど前に郵便で本が送られて来た。開けてみたら中古の文庫本で『武器よさらば』だった(※奥付は新潮文庫平成18年版。訳者・高見浩)。

送り主はアマゾン内の書店で、注文主は家内であった。しかし宛先は自分宛てだ。家内に訊くと、私が注文してくれと頼んでおいたらしい。

いくら思い出しても頼んだ記憶がないのだが、タイトルの「さらば」を見て、はたと気が付いた。3月になって最初と次のブログに「さらば」を2度立て続けにタイトルに使っていたのだった。もしかしたらその流れでアマゾンの古書を見ている時に、「さらば」繋がりの勢いで取り寄せてみようと頭に浮かんだのかもしれない。

まるで夢遊病者か、ボケの始まりのような経緯だが、まあ高くもない値段だし、読んでみても損することは有るまいと、手に取ってみた。

日本文学は学生の頃はよく読んだが、欧米の文学は数えるほどしか読んだことがない。カミュの『異邦人』、『シジフォスの神話』、サリンジャーの『ライ麦畑で捕まえて』などしか記憶に残っていない。

『武器よさらば』は、タイトルこそ眼にしたことが多かったが、読んだことはなかった。

ちょうどよい機会だ。錆び付いた脳みそがどれくらい読むのに耐えられるか測ってみるのも悪くはない。時間がないわけじゃないし・・・。

というわけで、合間合間に4,5日かけて読み終えた感想というやつを書いてみる。

『武器よさらば』の時代背景は第一次世界大戦であり、場所は大戦中のイタリアである。イタリアでもおそらく北部に属する地方で、英仏米の連合国軍と南下してきたオーストリア軍との熾烈な戦いがあった場所でのことである。

そこに若きアメリカ人フレドリックが、前年にドイツ・オーストリアに対して宣戦布告をしたアメリカの野戦病院付の「傷病兵搬送要員」として赴任してきた。

そこでこの小説の全体を貫く恋愛が始まるのだが、それはフレドリック自身が迫撃砲の直撃を受けて「傷病兵」の一人となるに及んで、イギリス人看護婦と親密な関係になることで表現される。

さて、フレドリックがその迫撃砲を受けた同じ施設にたまたまいて瀕死の重傷を負ってしまったイタリア人(パッシーニ)は、両足を切断されるという悲劇に見舞われ、そこで絶命するのだが、その今はの際の断末魔の叫びは心を揺さぶられる。


(フレドリックは)すぐそばで誰かがうめいているのに気付いた。
(パッシーニ)「お母さん! ああ、マンマ・ミーア!」
       パッシーニは腕を嚙んでうめいた。
(パッシーニ)「ああ、マンマ・ミーア、マンマ・ミーア! 神様、助けて下さい。マリア様。マンマ・ミーア! ああ、誰よりも清ら       かな、うるわしいマリア様。マンマ・ミーア!」
       そして(パッシーニは)腕を噛んだまま静かになった。(p 93~94)


激しい痛みというよりかは、もうそれを超越したような魂の痛みに陥ったのだろう、パッシーニという青年の最期の心の叫びは、「マンマ・ミーア」(僕のお母さん)であり、聖母マリアによる救いであった。

これは特攻平和祈念館(鹿屋・知覧)に展示してある出撃青年の遺書に必ず見る「お母さん」を連想させる場面だ。実際にヘミングウェイが大戦のイタリアへ赤十字関係の要員として赴任した時に起きたことなのかは分からないが、自身も負傷しているのでパッシーニの絶叫は自分で経験済みだったのではないか。

また、傷病兵として赤十字野戦病院に入院している時に、見舞いに来た軍人軍属との会話で何と日本のことが書かれていた。


  「それから日本に対しても宣戦布告するさ」とぼくは答えた。
  「でも、日本はイギリスの同盟国だぞ」と彼らは言う。
  「イギリスなんか信用できるもんか。日本はハワイを欲しがっているんだから」とぼくは言った。
  「どうして日本人はそこを欲しがるんだ?」
   ぼくは答えた。
  「本当は欲しがっちゃいないさ、日本人は。単なる風評だよ。日本人というのは踊りと軽い酒を好む小柄な感じのいい連中なんだけどね」(p.128 )


日本への宣戦布告をアメリカがするというのは無理な話だ。なぜなら「彼ら」が言うように日本は日英同盟により、イギリスに慫慂され、ドイツとオーストリアに対して戦争開始2か月後の1914年8月に宣戦を布告した。アメリカとは同じ敵国を持つ仲間になっていたのである。

「ぼく」が「日本はハワイを欲しがっている」と言ったのは、明治になってから日本人の移民がハワイに押し寄せ、勤勉な日本人の中で成功者がどんどん生まれたことに対するアメリカの人種差別感を含んだ反発が大きくなったことと無縁ではない。

(※ハワイに限らずアメリカ本土、特にカリフォルニアなども日本人移民の多い土地で、第一次大戦後の1924年にはカリフォルニア土地法が制定された。実質的な日本移民排除であった。)

そのことを見越したのが、ブラジルへの移民替えである。1908年のブラジル移民船「笠戸丸」はその象徴だった。だから第一次大戦当時の頃の日本からの移民と言えば、その多くはブラジル移民であった

「ぼく」も「単なる風評さ」と打ち消している。もうハワイより当時はブラジルはじめペルーなど南米が移民の主流だった。

「日本人というのは」と「ぼく」が話している内容が面白い。「踊り」とはおそらく「芸者の踊り」であり、「軽い酒」はもちろん日本酒だろう。「小柄な」は全くその通りで、「感じのいい連中」も、単に「ぼく」の主観ではないだろう。実際、日本人は欧米やその他どの国の連中よりも「正直」で「従順」だった(※西部劇によく出るインディアンの定番の殺し文句「インディアン、ウソつかない。白人、ウソつく」は日本人にも当てはまるだろう)。

こんな場面をこの小説に想像していなかったので、かなり驚いた。作家というのは何でも自分なりに解釈し、自説に取り入れるのが巧みだと思わされた。またこの小説には酒を飲む話が随所に描かれており、ワイン、グラッパ、コニャック、ウイスキー、ビールと酒の種類が豊富である。しかし日本の「軽い酒」つまり日本酒は話だけで、実際に飲む場面は出て来ない。

小説の半分からあとは、傷病の癒えたフレドリックが、負けの込んで来た戦線でイタリア人将校たちが責任を取らされ、「憲兵」に容赦なく殺害され始めたのを見て恐れをなし、そこから脱走する。そして脱走先で恋人のイギリス人看護婦キャサリンと落ちあい、何とか一緒に逃れるのだが、その時キャサリンはフレドリックの子を身ごもっていた。

途中のとある町の「伯爵」と呼ばれる老紳士との会話が考えさせられる。


(伯爵)「年を取れば信仰心が篤くなるものと以前は思っていたものです。ところが一向にそうはならない。甚だ遺憾なことにね」
(フレドリック)「死後の生というやつをお望みになりますか?」
(伯爵)「それは生の内容次第でしょう。いま現在の生は実に喜ばしい。このまま永遠に生きたいと思いますな。・・・(中略)・・・あなたも私くらいの年まで生きれば、不可思議に思えるものがたくさん出て来るはずです」(p.428)


伯爵と呼ばれる人は相当な老いぼれだが、巧みにビリヤードをする人で、現状にすこぶる満足していた。多くの老人が「死後の生」を考えるようになっても、今の「喜ばしい生」なら永遠にこのままでいたいとのたもう。

ただ、年を取れば「不可思議に思えるものがたくさん出て来る」そうだが、その内容には触れられていない。そのあたりは老年を生き始めた私なども関心を持たなければなるまい。

フレドリックの「妻」キャサリンは臨月を迎えるが、おなかの赤ん坊が大きくなり過ぎていると感じ、「ビールを飲めば大きくならないから」と信じてビールを飲む場面があるが、これは本当にそうなのか?

しかしその願いも空しくとある病院で帝王切開で産むことになったが、子どもは死産で、体重は5キロもあったうえ、産婦本人も間もなく息を引き取ってしまう。

小説『武器よさらば』は世界大戦という戦時下に起きた「戦争が無ければ有り得なかった死」の諸相を描くことで、戦争の忌避を訴えたドキュメンタリー色の強い文学である。日本の小説の分類では戦記文学と言えばいいのだろうか。しかし全編を貫く「恋愛」はやはり戦記文学を突き抜けているようだ。