日本が中国語化しなかった理由として、平安時代の初期という早い段階で漢字から取り入れた「かな文字」が発明され、仮名文字を使うことにより「一字一音(言文一致)」の表現が誰にでも可能になったのが最大の理由だったとは、先のブログ「日本語が中国(漢)語化しなかったワケ」での結論であった。
(※菅原道真が建言した「遣唐使の廃止」(895年)もそれを大いに助長した。)
一方で朝鮮半島では統一新羅にせよ、高麗国にせよ、李氏朝鮮にせよ、行政文書や仏教では漢語そのものが使われ続け、特に李氏朝鮮などは冊封体制下で「小中華帝国」と呼ばれたほど、文物は中華様式にあふれていた。
それにもかかわらず、中国語は日本と同様、朝鮮半島の公用語にはならなかった。
日本では9世紀の初めには仮名文字の使用が勃興し、平安時代の中期には「国風文化」が花盛りとなり、漢語は中国由来の文物の名辞には数多取り入れられたが、話し言葉(口語)、つまり公用語にはならなかった。
朝鮮でも日本の仮名文字に当たる「諺文(オンモン)=ハングル」があったが、それが創始されたのは李氏朝鮮4代大王の世宗(セジョン)時代の1446年のことだった。日本の仮名文字に遅れること実に500年。その間に朝鮮語が中国語に置き換えられなかったのは、なぜだろうか。
統一新羅の成立(668年)から唐制(中国化)が始まり、世宗(セジョン)大王がハングルを創始するまで780年間も、時の中国の影響下にあったのである。これだけハングルの成立が遅いと「日本は早くに言文一致のための「仮名文字」が流布したので中国(漢)語化を免れた」――という私の考えに抵触してしまう。これをどう考えるべきか。
思うに当時の官僚貴族(両班)は公式的には中国語を使用していた。そして自分たちは中国官僚の一部を自認し、一般庶民はすべからく「非民」というような認識だったのではないか。
自分たちは中国語を操れるエリート、被支配民は「王化に属さぬ非民」というような、かつて日本でも南九州や東北の民が「蛮族」視されたことがあったが、エリート以外は蛮族だったのだろう。だから逆に言うと、エリートたちにとっては、「蛮族が何語をしゃべろうと、勝手」なのではなかったか。
要するに「一国二言語」というような塩梅である。そのため「口語」としての「蛮族語」はそのまま残り続けていたに違いない。その「蛮族語」(庶民語)こそがいわゆる「アルタイ語族」に属するもので、そのルーツは倭人語と同じ「古縄文語」(古極東アジア語)ではなかったかと思われる。
李氏朝鮮第4代の世宗(セジョン)大王は「庶民に文字が無いのは不便であろう」と考えて、ハングルを創始したと伝えられているが、その実、古代から連綿と続く(少なくとも「三韓時代」の3世紀からは続いている)倭人語と同じアルタイ語族に属している庶民語(土着語)に、「一字一音(言文一致)」という光を当てたのである。
それは日本語における仮名文字の発明と同じ恩恵を朝鮮の庶民語(土着語)にもたらすことになった。
たしかに「万葉仮名」は倭人語および朝鮮土着語にとって一つの大きな工夫であった。しかし用いる漢字そのものの読みが多種あるため、読み下すことさえままならない弊害があった。その点、仮名やハングルはほぼ「一字一音」なので、実に読み易い。このことはまた「言文一致」すなわち「読む(音読する)ことと書く(文字にする)こと」が一致するため、誰にでも習熟可能である。
以上が日本語においても朝鮮語においても、中国(漢)語化が妨げられた最大の要因であった。
もう一つ考えておかなければならないのが、倭人語を含むアルタイ語系の「主語+目的語+述語」の語順(SOV)、「てにをは」に相当する助辞などの特徴が「古縄文語」の時代からあったのか、それとも中国語の「主語+述語+目的語」(SVO)の方がその時代から存在したのか、についてである。
平たく言えば、倭人語(古縄文語)と中国語とではどちらが古い言語なのか、ということで、古い方から新しい方が派生するのが普通だからそれが分かれば、上の説に何らかの付加ができるはずである。
どちらも他の影響を受けずに完全に独立的に発生した――と考えるのであれば、上の説だけでよいことになるが、7千年~1万年前の「古縄文時代=南九州早期縄文時代」のころ、中国大陸内部ではどんな言葉が使われていたかについての情報は乏しく、今は比較のしようがない。
(※菅原道真が建言した「遣唐使の廃止」(895年)もそれを大いに助長した。)
一方で朝鮮半島では統一新羅にせよ、高麗国にせよ、李氏朝鮮にせよ、行政文書や仏教では漢語そのものが使われ続け、特に李氏朝鮮などは冊封体制下で「小中華帝国」と呼ばれたほど、文物は中華様式にあふれていた。
それにもかかわらず、中国語は日本と同様、朝鮮半島の公用語にはならなかった。
日本では9世紀の初めには仮名文字の使用が勃興し、平安時代の中期には「国風文化」が花盛りとなり、漢語は中国由来の文物の名辞には数多取り入れられたが、話し言葉(口語)、つまり公用語にはならなかった。
朝鮮でも日本の仮名文字に当たる「諺文(オンモン)=ハングル」があったが、それが創始されたのは李氏朝鮮4代大王の世宗(セジョン)時代の1446年のことだった。日本の仮名文字に遅れること実に500年。その間に朝鮮語が中国語に置き換えられなかったのは、なぜだろうか。
統一新羅の成立(668年)から唐制(中国化)が始まり、世宗(セジョン)大王がハングルを創始するまで780年間も、時の中国の影響下にあったのである。これだけハングルの成立が遅いと「日本は早くに言文一致のための「仮名文字」が流布したので中国(漢)語化を免れた」――という私の考えに抵触してしまう。これをどう考えるべきか。
思うに当時の官僚貴族(両班)は公式的には中国語を使用していた。そして自分たちは中国官僚の一部を自認し、一般庶民はすべからく「非民」というような認識だったのではないか。
自分たちは中国語を操れるエリート、被支配民は「王化に属さぬ非民」というような、かつて日本でも南九州や東北の民が「蛮族」視されたことがあったが、エリート以外は蛮族だったのだろう。だから逆に言うと、エリートたちにとっては、「蛮族が何語をしゃべろうと、勝手」なのではなかったか。
要するに「一国二言語」というような塩梅である。そのため「口語」としての「蛮族語」はそのまま残り続けていたに違いない。その「蛮族語」(庶民語)こそがいわゆる「アルタイ語族」に属するもので、そのルーツは倭人語と同じ「古縄文語」(古極東アジア語)ではなかったかと思われる。
李氏朝鮮第4代の世宗(セジョン)大王は「庶民に文字が無いのは不便であろう」と考えて、ハングルを創始したと伝えられているが、その実、古代から連綿と続く(少なくとも「三韓時代」の3世紀からは続いている)倭人語と同じアルタイ語族に属している庶民語(土着語)に、「一字一音(言文一致)」という光を当てたのである。
それは日本語における仮名文字の発明と同じ恩恵を朝鮮の庶民語(土着語)にもたらすことになった。
たしかに「万葉仮名」は倭人語および朝鮮土着語にとって一つの大きな工夫であった。しかし用いる漢字そのものの読みが多種あるため、読み下すことさえままならない弊害があった。その点、仮名やハングルはほぼ「一字一音」なので、実に読み易い。このことはまた「言文一致」すなわち「読む(音読する)ことと書く(文字にする)こと」が一致するため、誰にでも習熟可能である。
以上が日本語においても朝鮮語においても、中国(漢)語化が妨げられた最大の要因であった。
もう一つ考えておかなければならないのが、倭人語を含むアルタイ語系の「主語+目的語+述語」の語順(SOV)、「てにをは」に相当する助辞などの特徴が「古縄文語」の時代からあったのか、それとも中国語の「主語+述語+目的語」(SVO)の方がその時代から存在したのか、についてである。
平たく言えば、倭人語(古縄文語)と中国語とではどちらが古い言語なのか、ということで、古い方から新しい方が派生するのが普通だからそれが分かれば、上の説に何らかの付加ができるはずである。
どちらも他の影響を受けずに完全に独立的に発生した――と考えるのであれば、上の説だけでよいことになるが、7千年~1万年前の「古縄文時代=南九州早期縄文時代」のころ、中国大陸内部ではどんな言葉が使われていたかについての情報は乏しく、今は比較のしようがない。