今朝の新聞の書評欄にドナルド・キーン著『日本を寿ぐ』があった。自分はまだ読んでいないのだが、書評氏が取り上げた内容の中で、日本語にまつわる面白い事例の指摘があった。
それは日本人は「音」(おん)に鈍感だということの例として、ドナルド・キーンが取り上げたという「名神高速道路」である。この「名神」は「迷信」と聞き間違えられるのに、なぜ「めいしん高速道路」と固有名詞化してしまったのかというものだ。
日本人が俳句や短歌という短詩型文学に非常に精通しており、「音」(おん)に対する感性が世界でも稀なほど研ぎ澄まされているのも関わらず、こういった「えっ」と思われる鈍感さを示してしまうことに、やや苦言を呈したいのだろう。
今だったら、もっとくだけた愛称的な名前を募集するかして、利用者つまり国民目線のネーミングを採用するかもしれない。
しかし道路は公共目的の物であり、設置者は国(の予算で運営されている道路公団)であるから、「役所(行政)用語」として名古屋と神戸間を結ぶ路線としては「名神」がふさわしい。
他にも例えば「東名高速道路」だが、これは「透明高速道路」と聞き間違われるだろう。しかし「誰にも見えない高速道路なんて名はおかしいから変えろ」といったようなクレームは聞いたことがない。このようなレベルの聞き違えは他にもたくさんある。
例えば国鉄と言った時代の鉄道路線には「寝台列車」が走っており、若き日には結構お世話になったものだが、編成車両の全部が「寝台車」の場合はそうでもなかったが、一部が「寝台車」だった場合、「あの車両には死んだ医者が乗ってるんだ」などと冗談が出たものである。
そうだからといって、寝台車が「深夜運行車両」とか「ベッド付き車両」などという名に代わったためしはない。「寝台列車」も「死んだ慰霊車」と言い換えられ、「死んだ慰霊車なんて冗談じゃねえ。こんなのに乗れるか!」と乗車拒否したなんて話も聞かない。
要するにこの聞き間違いは「漢語」の持つ同一文字の複数(多数)音に問題があるのだ。たった今「漢語」とパソコンの文字キーに打ち込んだだけで「看護」「韓語」「監護」などと、同じ音の熟語がいくつも表示される。
この面倒には常に悩まされるのだが、日本語は漢語とひらがな・カタカナによる「てにをは」「です・ます」などによって補完されているので、意味上の間違いは少なくなり、かつ、逆に表現が極めて豊かになる。
これとやや似ているのが韓国語だろうか。ハングル文字の中に政治家などの漢字の固有名詞が入っているのを見る。ただ、ハングル文字そのものは日本語のカタカナに当たるもので、日本語のひらがなに相当する物はないようだ。
日本では書道の発達によって、ひらがなが発祥当時のままに使われて続けている。
中国由来の漢字の一部を借用してカタカナ・ひらがなが生まれ、当時の「音」とその音を表す「字」が、音における多少の違いは生じた(ゐ→い、など)にしても、もう1200年以上使われ続けているこの日本語の「漢字仮名交じり文」の便利さ、表現の豊かさは世界に誇るべきものだろう。
「名神」が「迷信」に聞き間違われるのにどうして「名神高速道路」なんて名付けたのか、についてはこう答えられる。
漢語の持つ視覚的な優位性が「めいしん高速道路」と言われた時に、日本人の頭の中で「めいしん」を「名神」と一対一対応をするようになる。要するに「視覚的な反復による定着」であり、かつ「行政用語だからそう覚える他ない」という心理が働く。だから誰もが冗談では言っても、あえて問題視しないのだ、と。
それは日本人は「音」(おん)に鈍感だということの例として、ドナルド・キーンが取り上げたという「名神高速道路」である。この「名神」は「迷信」と聞き間違えられるのに、なぜ「めいしん高速道路」と固有名詞化してしまったのかというものだ。
日本人が俳句や短歌という短詩型文学に非常に精通しており、「音」(おん)に対する感性が世界でも稀なほど研ぎ澄まされているのも関わらず、こういった「えっ」と思われる鈍感さを示してしまうことに、やや苦言を呈したいのだろう。
今だったら、もっとくだけた愛称的な名前を募集するかして、利用者つまり国民目線のネーミングを採用するかもしれない。
しかし道路は公共目的の物であり、設置者は国(の予算で運営されている道路公団)であるから、「役所(行政)用語」として名古屋と神戸間を結ぶ路線としては「名神」がふさわしい。
他にも例えば「東名高速道路」だが、これは「透明高速道路」と聞き間違われるだろう。しかし「誰にも見えない高速道路なんて名はおかしいから変えろ」といったようなクレームは聞いたことがない。このようなレベルの聞き違えは他にもたくさんある。
例えば国鉄と言った時代の鉄道路線には「寝台列車」が走っており、若き日には結構お世話になったものだが、編成車両の全部が「寝台車」の場合はそうでもなかったが、一部が「寝台車」だった場合、「あの車両には死んだ医者が乗ってるんだ」などと冗談が出たものである。
そうだからといって、寝台車が「深夜運行車両」とか「ベッド付き車両」などという名に代わったためしはない。「寝台列車」も「死んだ慰霊車」と言い換えられ、「死んだ慰霊車なんて冗談じゃねえ。こんなのに乗れるか!」と乗車拒否したなんて話も聞かない。
要するにこの聞き間違いは「漢語」の持つ同一文字の複数(多数)音に問題があるのだ。たった今「漢語」とパソコンの文字キーに打ち込んだだけで「看護」「韓語」「監護」などと、同じ音の熟語がいくつも表示される。
この面倒には常に悩まされるのだが、日本語は漢語とひらがな・カタカナによる「てにをは」「です・ます」などによって補完されているので、意味上の間違いは少なくなり、かつ、逆に表現が極めて豊かになる。
これとやや似ているのが韓国語だろうか。ハングル文字の中に政治家などの漢字の固有名詞が入っているのを見る。ただ、ハングル文字そのものは日本語のカタカナに当たるもので、日本語のひらがなに相当する物はないようだ。
日本では書道の発達によって、ひらがなが発祥当時のままに使われて続けている。
中国由来の漢字の一部を借用してカタカナ・ひらがなが生まれ、当時の「音」とその音を表す「字」が、音における多少の違いは生じた(ゐ→い、など)にしても、もう1200年以上使われ続けているこの日本語の「漢字仮名交じり文」の便利さ、表現の豊かさは世界に誇るべきものだろう。
「名神」が「迷信」に聞き間違われるのにどうして「名神高速道路」なんて名付けたのか、についてはこう答えられる。
漢語の持つ視覚的な優位性が「めいしん高速道路」と言われた時に、日本人の頭の中で「めいしん」を「名神」と一対一対応をするようになる。要するに「視覚的な反復による定着」であり、かつ「行政用語だからそう覚える他ない」という心理が働く。だから誰もが冗談では言っても、あえて問題視しないのだ、と。