鴨着く島

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「福徳岡ノ場」の大噴火

2021-10-29 21:59:07 | 災害
「福徳岡ノ場」という小笠原諸島近海にある海底火山が大噴火を起こし、その時に噴出した大量の軽石が海面を漂い、ついに西へ1000キロも離れた奄美諸島や沖縄に流れ着き、港の機能を妨げている。

先月の8月13日に噴火したというから、ちょうど2か月かけて南西諸島に到達したことになる。

テレビニュースで見る限り、漂着した島々の海岸や港を埋め尽くした軽石の帯の幅は数キロもあるというほどではなく、せいぜい数百メートルであり、ダイバーが潜って見ると、1センチから5センチくらいの比較的小さめの軽石である。

もっと大きな寸法の物をイメージしていたのだが、漂流する間に波によって細かく砕かれたのだろうか。

小さいから問題ないというわけではなく、特に魚の養殖場では養殖いかだの中に軽石が入ると魚が餌と勘違いして食べる危険性があるとして、網目の細かいネットをいかだ全体に覆ったりして、てんてこ舞いのようだ。

それにしてもこの海底火山の噴火の規模は、明治以来最大級だというので驚く。

大噴火で思い出されるのが大正3年(1914)1月12日の桜島の大噴火だ。

当時の桜島の住民は、以前から井戸水が温かくなったりする前触れ現象に気付いていたのだが、鹿児島気象台は噴火の兆候ではないと最後まで否定的だったため、大噴火発生後に住民から突き上げられ、「科学を信ぜず、我々の感じたことを信じる」との碑文が建てられたことで有名である。

(※住民の中には大噴火前日から対岸の鹿児島市方面へ避難した人が多く、数集落が溶岩流によって壊滅したにもかかわらず、2万人が暮らしていた桜島島民のうち死者は40名くらいで済んだのは奇跡的だった。)

福徳岡ノ場という海底火山の近くに有人島があったら、火山灰や津波で打撃を受けたに違いないが、周辺にはそういうものがなかったのは幸いであった。

小笠原近海では数年前に「西ノ島」が噴火し、溶岩が海上に噴出して島になったのだが、小笠原諸島には大島、三宅島、八丈島と有人火山島がたくさんある。三宅島が先年大噴火して全島避難があったのは記憶に新しい。

これらはすべて東京都に属しているわけだが、最先端都市東京に、こんな天地の始まりのような原初の姿が見られるのは、驚きと言えば驚きである。

東京から500キロも600キロも離れたこの海域でさらなる大噴火があっても、東京自体にはほぼ影響がないが、地下のプレートでは必ず連動した動きがあると思われる。

関東では10月に入って千葉県北西部を震源とする震度5強の地震があり、またつい最近、茨城県内陸部を震源とする震度4の地震が発生している。つまり8月の福徳岡ノ場の大噴火後さほど時を置かないで、大きめの地震が関東の内陸部で続けざまに起きているわけで、因果関係は認めてよいだろう。

さらなる大噴火または大地震の発生が懸念されるが、こればかりは今のところ先端科学をもってしても予知は困難だ。