私はいま鹿屋市のシルバー人材センターに属しているのだが、そこの「飛躍会」という会員互助会のような組織の中に、同好会が5つ6つあり、自分はその中のカラオケ同好会に入っている。
活動は月に2回で、昼の部と夜の部の1回ずつが当てられている。
11月半ばから新型コロナ感染ゼロの状態が続いており、鹿児島県でも「警戒レベル0」ランクになったというので、感染対策を徹底している飲食店、特に酒類を提供している店でも通常通りの営業が可能になった。
カラオケ同行会では去年(2020年)の6月から1年半の間、自粛ということで活動停止していたのだが、今月からようやく再開となり、初めての活動を8日夜7時から行うことになった。
その場所は鹿屋市朝日町にある「青春時代」という名のカラオケルームで、総勢14名が久々に会合して喉を競った。
複合店舗の2階がカラオケスタジオになっている。
今回はメンバー久々の再会ということで、酒が入ったイベントである。酒を飲みながらのカラオケは感染の危険度が最も高いそうなので、以前のような「談論風発」は避けなければならないのだが、やはり酒が入ると口舌が軽くなる。
ただ歌うにはもってこいで、一説によると喉(声帯)への血の流れが良くなるためだという。これはこれで科学的。
ただし、これは飲めない(飲まない)人については当てはまらず、飲まないで嬉々として歌う女人たちは大したものだ。
店の名が青春時代なので、歌う順番のトップに「青春時代」(原曲を2度下げ)をリモートに入れた。
順番が来て歌い出すと、案の定、店主は大喜びだった。
「青春時代」は作詞・阿久悠、作曲・森田公一で、作曲をした森田公一の率いるバンド「森田公一とトップギャラン」の演奏で森田自身がボーカルとして唄った名曲だ。昭和51年(1976年)にリリースされている。
多分誰もがそう思っているだろうが、歌謡曲界の「花の昭和40年代」のギリギリ入る曲で、森田公一はこの1曲のみヒットして姿を消したが、作詞のほうの阿久悠は、花の40年代を象徴する作詞家だった。
尾崎紀世彦の「また会う日まで」、あべ静江の「みずいろの手紙」、石川さゆりの「津軽海峡。冬景色」などミリオンセラーの常連作詞家で、特に驚かされたのがピンクレディへの「ペッパー警部」で、この二人には、この他多数を提供している。
ピンクレディは一時代を築いており、昭和50年代に10歳から15歳くらいだった女の子たちに大きな影響を与えてた。今なおNHKのど自慢などでは歌い継がれているほどだ。
さすがに今回のカラオケ同好会で唄われることはなかったが、それでも松山恵子、森進一、鳥羽一郎などの懐メロに交じって、最近の楽曲を唄う高齢者も増えて来た。CDやユーチューブの普及がそれに拍車をかけているようだ。自分もその恩恵に十分あずかっている。
昨夜の私の席の向かいに昭和20年生まれという高齢者がいたが、この人の(自身にとっての)新曲の覚え方は、テレビの歌謡番組で歌詞のテロップが表示されるのをビデオを録画して、何度も見て聞いて覚えるそうだ。しかも大体5回聞けば歌えるようになるというから驚く。
昨日は私など全く聞いたことも無いような、藤あや子の歌を唄っていた。男性ながら見事なものである。
かくて青春謳歌ならぬ「青春老歌」の夜が更けていった。
活動は月に2回で、昼の部と夜の部の1回ずつが当てられている。
11月半ばから新型コロナ感染ゼロの状態が続いており、鹿児島県でも「警戒レベル0」ランクになったというので、感染対策を徹底している飲食店、特に酒類を提供している店でも通常通りの営業が可能になった。
カラオケ同行会では去年(2020年)の6月から1年半の間、自粛ということで活動停止していたのだが、今月からようやく再開となり、初めての活動を8日夜7時から行うことになった。
その場所は鹿屋市朝日町にある「青春時代」という名のカラオケルームで、総勢14名が久々に会合して喉を競った。
複合店舗の2階がカラオケスタジオになっている。
今回はメンバー久々の再会ということで、酒が入ったイベントである。酒を飲みながらのカラオケは感染の危険度が最も高いそうなので、以前のような「談論風発」は避けなければならないのだが、やはり酒が入ると口舌が軽くなる。
ただ歌うにはもってこいで、一説によると喉(声帯)への血の流れが良くなるためだという。これはこれで科学的。
ただし、これは飲めない(飲まない)人については当てはまらず、飲まないで嬉々として歌う女人たちは大したものだ。
店の名が青春時代なので、歌う順番のトップに「青春時代」(原曲を2度下げ)をリモートに入れた。
順番が来て歌い出すと、案の定、店主は大喜びだった。
「青春時代」は作詞・阿久悠、作曲・森田公一で、作曲をした森田公一の率いるバンド「森田公一とトップギャラン」の演奏で森田自身がボーカルとして唄った名曲だ。昭和51年(1976年)にリリースされている。
多分誰もがそう思っているだろうが、歌謡曲界の「花の昭和40年代」のギリギリ入る曲で、森田公一はこの1曲のみヒットして姿を消したが、作詞のほうの阿久悠は、花の40年代を象徴する作詞家だった。
尾崎紀世彦の「また会う日まで」、あべ静江の「みずいろの手紙」、石川さゆりの「津軽海峡。冬景色」などミリオンセラーの常連作詞家で、特に驚かされたのがピンクレディへの「ペッパー警部」で、この二人には、この他多数を提供している。
ピンクレディは一時代を築いており、昭和50年代に10歳から15歳くらいだった女の子たちに大きな影響を与えてた。今なおNHKのど自慢などでは歌い継がれているほどだ。
さすがに今回のカラオケ同好会で唄われることはなかったが、それでも松山恵子、森進一、鳥羽一郎などの懐メロに交じって、最近の楽曲を唄う高齢者も増えて来た。CDやユーチューブの普及がそれに拍車をかけているようだ。自分もその恩恵に十分あずかっている。
昨夜の私の席の向かいに昭和20年生まれという高齢者がいたが、この人の(自身にとっての)新曲の覚え方は、テレビの歌謡番組で歌詞のテロップが表示されるのをビデオを録画して、何度も見て聞いて覚えるそうだ。しかも大体5回聞けば歌えるようになるというから驚く。
昨日は私など全く聞いたことも無いような、藤あや子の歌を唄っていた。男性ながら見事なものである。
かくて青春謳歌ならぬ「青春老歌」の夜が更けていった。