1昨日の12月18日、松田聖子の娘でミュージカル女優の神田沙也加が自死したという。享年35歳という若さだった。
自死した場所は北海道の札幌で、札幌で開催のミュージカル『マイ・フェア・レディ』を明日に控えての出来事で、宿泊先のホテルから身を投げたという。
実は18日にはそのニュースを知らなくて、翌日の19日になって知ったのだが、最初家内から聞いた時、「嘘だろ!」という言葉が出てしまった。
ミュージカルに出演し、しかも主演であるのならそれなりに「元気な」はずである。その後のニュースでは18日の出演を体調不良ということで代役に演じてもらっていたそうだ。
しかし出演の直前に急激に体調がおかしくなったのなら、所属事務所のマネージャーにそう訴えて医療機関に罹るのが普通だろう。
その「体調不良」というのは、実は、精神的なものだったのだろうか。どうもそうらしい。
どのような精神状態だったのかは本人以外に知る由もない。だからここからは自分の忖度でしかないが、このタイトルのカテゴリーとして「母性」を選択した。
というのは母親である。もちろん松田聖子で、父は神田正輝。二人の間に1986年に生まれているのだが、沙也加が11歳の1997年に両親は離婚した。
そして翌年、母の松田聖子は歯科医と結婚してしまう。
神田沙也加が神田姓を捨てなかったことからすれば、沙也加の親権は神田正輝の方にあった。
つまり沙也加にしてみれば、父と離婚してすぐに別の男と結婚したわけで、「私は(父とともに)母から捨てられた」という心理的な空虚感に襲われたに違いない。11歳から12歳というまさに思春期の入り口に当たる時期であったことも大きかったろう。
この辺りの詳しい経緯も推測だが、もし松田聖子が親権を取って沙也加を引き取っていたとすれば、沙也加は神田沙也加ではなく「蒲池(かまち)沙也加」となっていたはずである。(※蒲池姓は松田聖子の本姓で、松田聖子の本名は蒲池法子。蒲池一族は福岡県久留米市の武家としては名族だそうである。)
彼女にとってこの空虚感がどうもずっと尾を引いていたような気がする。
彼女が女優・歌手として15,6歳でデビューし、ある程度名声を博し始めてから、あの松田聖子の娘として母親と一緒に芸能活動をすることが多くなったのだが、いつも松田聖子の笑顔ばかりが目立っており、娘の沙也加は何となく目が笑っていない気がしていた。
性格の違いと言えば違いなのだろう。よく母娘が並ぶと姉妹のようだ言われる親子があるが、聖子と沙也加の母娘の場合は、沙也加の方が姉で聖子の方は妹的に見えて仕方がなかった。
「親ガチャ」という最近の流行語があるが、「自分では選べない親」の世帯環境(収入などもろもろの属性)によって子供の成育に厳然とした差別があるということ。このことを差別された方の子供世代が自虐的にそう言っている。
しかし「親ガチャ」のこの「親」は通常の親で、生まれてから一度も離婚していない親を指していると思う。
ところが神田沙也加の場合、「親ガチャ」的には収入もあり、豪邸もあり、多分、祖父母も揃っており、家庭環境的には最高の部類に属している。「親ガチャ」の言い出しっぺからすれば、「そんなに恵まれているのになぜ?」と開いた口が塞がらないだろう。
そこには松田聖子の「母性の躓き」があったのだ。子供にとって最も母性が必要なのは幼児期だが、次に必要なのが特に女の子にとっては思春期の入り口ではないか。
女性への目覚めの時期は、その女性のモデルとして最も身近な存在である母親が必要なのである。
今度の神田沙也加の「自死事件」はそのことを訴えかけているように思われてならない。
(追記)
ネットで調べると、神田正輝の生年月日は1950年12月21日(71歳)、松田聖子、1962年3月10日(59歳)、神田沙也加、1986年10月1日、と、三人とも寅年である。ちょっと驚かされた。「トラ・トラ・トラ」、全部、来年が年男・年女ではないか。「自死事件」と直接の関係はないが・・・。
自死した場所は北海道の札幌で、札幌で開催のミュージカル『マイ・フェア・レディ』を明日に控えての出来事で、宿泊先のホテルから身を投げたという。
実は18日にはそのニュースを知らなくて、翌日の19日になって知ったのだが、最初家内から聞いた時、「嘘だろ!」という言葉が出てしまった。
ミュージカルに出演し、しかも主演であるのならそれなりに「元気な」はずである。その後のニュースでは18日の出演を体調不良ということで代役に演じてもらっていたそうだ。
しかし出演の直前に急激に体調がおかしくなったのなら、所属事務所のマネージャーにそう訴えて医療機関に罹るのが普通だろう。
その「体調不良」というのは、実は、精神的なものだったのだろうか。どうもそうらしい。
どのような精神状態だったのかは本人以外に知る由もない。だからここからは自分の忖度でしかないが、このタイトルのカテゴリーとして「母性」を選択した。
というのは母親である。もちろん松田聖子で、父は神田正輝。二人の間に1986年に生まれているのだが、沙也加が11歳の1997年に両親は離婚した。
そして翌年、母の松田聖子は歯科医と結婚してしまう。
神田沙也加が神田姓を捨てなかったことからすれば、沙也加の親権は神田正輝の方にあった。
つまり沙也加にしてみれば、父と離婚してすぐに別の男と結婚したわけで、「私は(父とともに)母から捨てられた」という心理的な空虚感に襲われたに違いない。11歳から12歳というまさに思春期の入り口に当たる時期であったことも大きかったろう。
この辺りの詳しい経緯も推測だが、もし松田聖子が親権を取って沙也加を引き取っていたとすれば、沙也加は神田沙也加ではなく「蒲池(かまち)沙也加」となっていたはずである。(※蒲池姓は松田聖子の本姓で、松田聖子の本名は蒲池法子。蒲池一族は福岡県久留米市の武家としては名族だそうである。)
彼女にとってこの空虚感がどうもずっと尾を引いていたような気がする。
彼女が女優・歌手として15,6歳でデビューし、ある程度名声を博し始めてから、あの松田聖子の娘として母親と一緒に芸能活動をすることが多くなったのだが、いつも松田聖子の笑顔ばかりが目立っており、娘の沙也加は何となく目が笑っていない気がしていた。
性格の違いと言えば違いなのだろう。よく母娘が並ぶと姉妹のようだ言われる親子があるが、聖子と沙也加の母娘の場合は、沙也加の方が姉で聖子の方は妹的に見えて仕方がなかった。
「親ガチャ」という最近の流行語があるが、「自分では選べない親」の世帯環境(収入などもろもろの属性)によって子供の成育に厳然とした差別があるということ。このことを差別された方の子供世代が自虐的にそう言っている。
しかし「親ガチャ」のこの「親」は通常の親で、生まれてから一度も離婚していない親を指していると思う。
ところが神田沙也加の場合、「親ガチャ」的には収入もあり、豪邸もあり、多分、祖父母も揃っており、家庭環境的には最高の部類に属している。「親ガチャ」の言い出しっぺからすれば、「そんなに恵まれているのになぜ?」と開いた口が塞がらないだろう。
そこには松田聖子の「母性の躓き」があったのだ。子供にとって最も母性が必要なのは幼児期だが、次に必要なのが特に女の子にとっては思春期の入り口ではないか。
女性への目覚めの時期は、その女性のモデルとして最も身近な存在である母親が必要なのである。
今度の神田沙也加の「自死事件」はそのことを訴えかけているように思われてならない。
(追記)
ネットで調べると、神田正輝の生年月日は1950年12月21日(71歳)、松田聖子、1962年3月10日(59歳)、神田沙也加、1986年10月1日、と、三人とも寅年である。ちょっと驚かされた。「トラ・トラ・トラ」、全部、来年が年男・年女ではないか。「自死事件」と直接の関係はないが・・・。