毎週土曜日に再放送され、ビデオに撮り溜めていた『男はつらいよ』(山田洋次監督)の第20作目を鑑賞した。
1977年(昭和52年)12月上映のこの作品は、サブタイトル「寅次郎頑張れ!」という。
オープニングに寅次郎の夢が再現される作品が多くなったが、今回のは柴又の界隈が再開発か何かにあい、「地上げ」でもあったのか、とら屋も店の裏の朝日印刷も事業を打ち切り、手にした金で富豪のような身成りをしているというシーンだった。
さくらもひろしもおじちゃんおばちゃんも、そしてタコ社長も、見違えるような恰好をしており、これはこれで見ものであった。とくにおばちゃんの変身は、そう言われてよく見なければ誰だか見当がつかないくらいだったのは、別仕立ての映画のシーンのようで面白かった。
寅次郎は夢の中で柴又にそんなことがあってたまるかと目を覚まし、相変わらず旅先での居眠りだったことに気付くのだが、とら屋の夢を見るということはまもなく柴又に帰るという伏線でもある。
案の定、寅次郎がとら屋に帰ると、店先にいた見知らぬ青年に押し売りと間違われ、110番されてしまうが、その青年は長崎の平戸出身で東京に出てアルバイトをしていて、たまたまとら屋の2階を間借りしていたのだった。
青年の配役は若き日の中村雅俊で、当時はまだよく見かけたヒッピー的な役どころで長髪である。青年はぶっきらぼうに寅さんと入れ替わり、すぐにとら屋を引き払う。
ところが寅も虫の居所が悪く、パチンコ屋へしけこむと、そこに青年がいた。そのまま打ち解けて飲みに行き、酩酊した寅は青年を再びとら屋に連れて帰る。
この青年は近所の食堂「ふるさと」の看板娘にぞっこんで、それを察した寅さんは、早速、キューピッドに変身する。食堂の娘の配役は大竹しのぶで、まだ高校生くらいな初々しさである。
青年と娘は初デートをし、次第に打ち解けてゆくのだが、娘が母親の手術か何かで秋田の実家に戻ったのを、振られたと勘違いした青年はとら屋の間借りした2階の部屋でガス自殺を図る。ガスを出しながら最後のタバコを吸おうと火を付けたら大爆発し、2階から転げ落ちる。
しかし命は助かって、傷心の青年は郷里の長崎県平戸島に帰る。(※爆発で青年の命に別条なかったのはいいとして、部屋はかなりめちゃくちゃになっていたのに、その後改修した様子は写されていないのは首をかしげるが・・・。)
寅さんは気の毒な青年の後を追うように平戸へ行く。と、そこで青年に出戻りの姉のいることがわかる。配役の女優は藤村志保だ。
さあ、マドンナの登場である。姉はレンタ・サイクルと土産物屋を営んでおり、寅さんはしばらく店を手伝うことになった。
例によってご機嫌よく仕事にはまるのだが、寅さんから、食堂の娘が秋田に帰ってしまったのは母親の看病のためだと知らされた青年は、振られたのではないことを知り、東京に会いに行くことになった。ところが姉も弟の恋人を見たいということで一緒に行ってしまう。
姉と弟が揃ってとら屋に厄介になり、生年と娘の結婚が本決まりになったところへ寅が長崎から帰って来る。とら屋の茶の間で二人の門出を祝ったあと、青年が姉ととら屋の2階に上って話をすると、今度は姉が寅さんを慕っていることに気付き、相変わらずぶっきらぼうな調子で「姉さんは寅さんを利用したいのか」などと詰問する。
寅さんはこのシーンを垣間見ており、そうなると寅さんの捨て台詞「それを言っちゃあ、おしまいよ!」が出てもおかしくないところだが、それは寅の胸の内で収まり、寅はまた旅に出ることになる。(※青年と姉はとら屋の2階で話し合うのだが、青年があの自殺未遂でガス爆発した時の部屋の惨状が全く見られないのは、ちとどうかと思う。)
旅先の場所はどこかわからないが、田舎の一本道を何やら音楽を鳴らしながら大衆演劇の一座の小型トラックが寅の後ろから現れ、行き過ぎようとしたところで、トラックの荷台にいた時代劇姿の女座員に「車先生じゃありませんか」と声を掛けられ、寅は「おう!」と破顔一笑、そのまま荷台に乗せてもらい、走り去っていく姿で幕となった。
1968年に始まった『男はつらいよ』シリーズは最初は年に2回ずつ封切られていたので、10年目でちょうど20作となり、これはある意味記念すべき作品だったろう。(※相変わらず寅さんのいつもの旅先の風景には心が和む。この映画のひとつの眼目であり、ファンを惹きつけてやまない点である。)
「寅次郎頑張れ!」というサブタイトルからして、もしかしたら青年の姉と結ばれてハッピーエンド的な大団円を迎えそうな気がしたのだが、結果はキューピッド役になった若い二人だけが結ばれただけで、またもや寅次郎は振出しに戻ってしまう。
しかしこのことは渥美清の生前の48作(1995年12月封切り)まで、我々寅さん愛好家はこの20作までの2倍以上の期間楽めたわけで、寅さんのマドンナとの悲喜劇が引き続き見られてよかったと言えるだろう。
この20作の場合、青年たちと寅とマドンナの2つのカップルが同時並行的に進行しかかったのだが、その一方で寅さんがキューピッド役に徹した青年のカップルでは、ジュリー(沢田研二)と田中裕子、長淵剛と志穂美悦子のカップルが記憶に残る。
とくに後者の長渕と志穂美のカップルは現実に結婚したのだった。寅さんがキューピッドだったのか、山田洋次監督がキューピッドだったのか、多分どっちもだろうが、とにかく話題をさらったものであった。
1977年(昭和52年)12月上映のこの作品は、サブタイトル「寅次郎頑張れ!」という。
オープニングに寅次郎の夢が再現される作品が多くなったが、今回のは柴又の界隈が再開発か何かにあい、「地上げ」でもあったのか、とら屋も店の裏の朝日印刷も事業を打ち切り、手にした金で富豪のような身成りをしているというシーンだった。
さくらもひろしもおじちゃんおばちゃんも、そしてタコ社長も、見違えるような恰好をしており、これはこれで見ものであった。とくにおばちゃんの変身は、そう言われてよく見なければ誰だか見当がつかないくらいだったのは、別仕立ての映画のシーンのようで面白かった。
寅次郎は夢の中で柴又にそんなことがあってたまるかと目を覚まし、相変わらず旅先での居眠りだったことに気付くのだが、とら屋の夢を見るということはまもなく柴又に帰るという伏線でもある。
案の定、寅次郎がとら屋に帰ると、店先にいた見知らぬ青年に押し売りと間違われ、110番されてしまうが、その青年は長崎の平戸出身で東京に出てアルバイトをしていて、たまたまとら屋の2階を間借りしていたのだった。
青年の配役は若き日の中村雅俊で、当時はまだよく見かけたヒッピー的な役どころで長髪である。青年はぶっきらぼうに寅さんと入れ替わり、すぐにとら屋を引き払う。
ところが寅も虫の居所が悪く、パチンコ屋へしけこむと、そこに青年がいた。そのまま打ち解けて飲みに行き、酩酊した寅は青年を再びとら屋に連れて帰る。
この青年は近所の食堂「ふるさと」の看板娘にぞっこんで、それを察した寅さんは、早速、キューピッドに変身する。食堂の娘の配役は大竹しのぶで、まだ高校生くらいな初々しさである。
青年と娘は初デートをし、次第に打ち解けてゆくのだが、娘が母親の手術か何かで秋田の実家に戻ったのを、振られたと勘違いした青年はとら屋の間借りした2階の部屋でガス自殺を図る。ガスを出しながら最後のタバコを吸おうと火を付けたら大爆発し、2階から転げ落ちる。
しかし命は助かって、傷心の青年は郷里の長崎県平戸島に帰る。(※爆発で青年の命に別条なかったのはいいとして、部屋はかなりめちゃくちゃになっていたのに、その後改修した様子は写されていないのは首をかしげるが・・・。)
寅さんは気の毒な青年の後を追うように平戸へ行く。と、そこで青年に出戻りの姉のいることがわかる。配役の女優は藤村志保だ。
さあ、マドンナの登場である。姉はレンタ・サイクルと土産物屋を営んでおり、寅さんはしばらく店を手伝うことになった。
例によってご機嫌よく仕事にはまるのだが、寅さんから、食堂の娘が秋田に帰ってしまったのは母親の看病のためだと知らされた青年は、振られたのではないことを知り、東京に会いに行くことになった。ところが姉も弟の恋人を見たいということで一緒に行ってしまう。
姉と弟が揃ってとら屋に厄介になり、生年と娘の結婚が本決まりになったところへ寅が長崎から帰って来る。とら屋の茶の間で二人の門出を祝ったあと、青年が姉ととら屋の2階に上って話をすると、今度は姉が寅さんを慕っていることに気付き、相変わらずぶっきらぼうな調子で「姉さんは寅さんを利用したいのか」などと詰問する。
寅さんはこのシーンを垣間見ており、そうなると寅さんの捨て台詞「それを言っちゃあ、おしまいよ!」が出てもおかしくないところだが、それは寅の胸の内で収まり、寅はまた旅に出ることになる。(※青年と姉はとら屋の2階で話し合うのだが、青年があの自殺未遂でガス爆発した時の部屋の惨状が全く見られないのは、ちとどうかと思う。)
旅先の場所はどこかわからないが、田舎の一本道を何やら音楽を鳴らしながら大衆演劇の一座の小型トラックが寅の後ろから現れ、行き過ぎようとしたところで、トラックの荷台にいた時代劇姿の女座員に「車先生じゃありませんか」と声を掛けられ、寅は「おう!」と破顔一笑、そのまま荷台に乗せてもらい、走り去っていく姿で幕となった。
1968年に始まった『男はつらいよ』シリーズは最初は年に2回ずつ封切られていたので、10年目でちょうど20作となり、これはある意味記念すべき作品だったろう。(※相変わらず寅さんのいつもの旅先の風景には心が和む。この映画のひとつの眼目であり、ファンを惹きつけてやまない点である。)
「寅次郎頑張れ!」というサブタイトルからして、もしかしたら青年の姉と結ばれてハッピーエンド的な大団円を迎えそうな気がしたのだが、結果はキューピッド役になった若い二人だけが結ばれただけで、またもや寅次郎は振出しに戻ってしまう。
しかしこのことは渥美清の生前の48作(1995年12月封切り)まで、我々寅さん愛好家はこの20作までの2倍以上の期間楽めたわけで、寅さんのマドンナとの悲喜劇が引き続き見られてよかったと言えるだろう。
この20作の場合、青年たちと寅とマドンナの2つのカップルが同時並行的に進行しかかったのだが、その一方で寅さんがキューピッド役に徹した青年のカップルでは、ジュリー(沢田研二)と田中裕子、長淵剛と志穂美悦子のカップルが記憶に残る。
とくに後者の長渕と志穂美のカップルは現実に結婚したのだった。寅さんがキューピッドだったのか、山田洋次監督がキューピッドだったのか、多分どっちもだろうが、とにかく話題をさらったものであった。