鴨着く島

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不登校児の激増

2023-10-12 16:29:14 | 母性

文科省は2022年度の小中学校児童生徒の不登校児の数を発表した。

その数は29万9000人、ほぼ30万人になったという。前年の21年度より2割約10万人もの増加である。全国の小中学校の子どもの数は今年は923万人だそうであるから、30人に1人が不登校という計算になる。(※高校生の不登校は約6万人で、義務教育ではないから不登校は自己責任の範疇だ。)

憲法では小中学校は義務教育であり、保護者に子どもを学校に行かせる義務がある。

よく間違えられるのが「本人に登校する義務がある」というのだが、それは誤解である。本来は「本人に学校へ行って学ぶ権利がある」のであり、それを保護者が尊重し、子どもには小中学校には通わせなければならない義務が課せられているのだ。

昔は特に農家などで農作業の手伝いで学校を早い学年で切り上げたり、農繁期に長い休みを取らせたりして、子どもの学習が蔑ろになったことが多かったが、戦後は憲法で家業(家庭)の都合によるそういった面を切り捨て、親に子どもを9年間は学校で学ばせる義務を憲法で課したのだった。

だから約30万人の小中学校の不登校児の親は大いに心しなくてはならない。子どもをどうにかして学校に行かせなくてはならない。根本法である憲法に照らせばそういうことになる。

ところが多くの親はこの根本法規による取り決めを守っていないようだ。「子どもの気持ちを尊重すると、無理に学校に行かせなくてもいいかな」などと、一見子ども本位に考えているように見えるのだが、その実は親の都合を優先しているのではないだろうか。

私事だが、2学年下の弟が中学2年の1学期から不登校になった。その時の親の対応が大変にまずかったのである。

両親ともに教員(父は中学校、母は小学校)で核家族の我が家は、住み込みの女中さんを雇い入れて家事万端を回していたのだが、兄弟4人の世話をするには不足だった。弟の不登校は中学校なのだからまだ義務教育の範疇であり、親は何とかして登校させなければならないはずである。

ところがその何とかして登校させる最も重要な取り組みは母親が寄り添うことだったのに、その対応はなされずに学校勤務を優先し、今度の発表にある「不登校理由の51%は無気力、不安」を地で行くような感情を持った弟はついに精神を侵されてしまったのだ。

この「無気力・不安」の感情が醸成されるもっとも大きな理由は、親と子の密接な心的な交流が少ないか阻害されていることだと、私は経験を踏まえてそう思っている。

特に母親との密接度が大きいが、これは幼児期から前期思春期までのすべての期間にわたっている。

やはり「母性」の存在は絶対に蔑ろにできない。

こういうと女性からは「女を母性というくくりに閉じ込めておきたいのか」などと言われかねないが、それは違う。

「母性」は男性も女性もこの世に送り出す根本の原理であり、性差を越えた存在だろう。いや「母性」の前には男性と女性の性差など問題ではなく、男と女は単なる区別の存在でしかなくなるほどのものだ。

人間の属する「哺乳類」では実は最も「母性」が必要とされている。これは科学的つまり客観的な見方である。

ⅬGBTという「性的多様性」を認めよという動きが盛んだが、個人個人が主観的にどう考えようと、「母性」の本来的な性の重要性からしたら、わけが分からない。「母性」無くして結婚して何の意味があるのだろうか。