よく言われるのが「外交と防衛は国策だ。だから都道府県及び市町村の与り知れるところではない」である。
鹿児島県ではつい最近、県民から提出されていた「川内原発の稼働20年延長は是か否か」をめぐる県民による直接請求(有効署名総数4万6千)を受けて県議会が開かれたが、否決された。
この請求は薩摩川内市にある2基の原発が来年再来年と相次いで40年の節目を迎えるが、岸田政権で法文化された「60年までの稼働延長」に対して疑問を投げかけるものだった。
しかも2年前に鹿児島県知事になった塩田氏が選挙戦でのマニュフェストに掲げていたのが「(原発の稼働延長20年について)必要とあらば県民の直接投票を行う」という文言であったから、県知事の判断を仰ぐ意味もあった。
しかしながら県議会で否決されたことを受けた塩田知事は、先週末に出された原子力規制委員会の「稼働を20年延長することに特段の問題点はない」という見解(お墨付き)に待ってましたとばかり賛意を表明した。
これで九州電力の求めていた20年延長事案にゴーサインが出たわけである。せめて直接請求に基づいて県民投票を実施し、その正否を見てからでも遅くはなかったと思うのだが、岸田政権が決めた「稼働最長60年」の法案を優先した。
ウクライナ戦争による資源の高騰、とくに原油の値上がりという現実を突きつけられ、資源小国日本の舵取りとして脱炭素という名分をも加味し、安全よりもそっちの方を優先した現政権の「国策」の前に、原発を抱えた県の代表者として反対の表明は不可能だったのだ。
外交と国防という2大国策に加えて、食料・エネルギーの保障という第3の国策が改めて浮上したのを端的に示す今度の直接請求の否定であった。
同様なこと(と言うには余りにレベルが違い過ぎる)が、沖縄県の辺野古基地新設に関わる沖縄県知事の提訴の却下に見られた。
玉城知事は辺野古の海に築かれつつある普天間基地の移設代替基地について、海中への土砂埋設は不当であり、それを認めない決定を下したのだが、国が国の専権事項としての防衛施設だとして県知事の埋設不承認を却下するよう訴えた。
沖縄地裁は玉城知事の意見陳述を否決し、国の専権にお墨付きを与える判決を下した。強制代執行への道である。
一般的に公益が私権に勝る場合、公益を優先して私権を制限し、公益に基づく事業を強制的に公権力が推し進める――というのが、「(強制)代執行」だ。
辺野古の埋め立ての場合、埋め立てによる公益つまり危険極まりない普天間基地の移設という「公益」が優先されるわけだが、そもそも普天間基地は米軍の基地であり、その代替基地は名称はどうであれ自衛隊基地とは言えまい。
自衛隊基地であるのならば確かに国防という「国策」に適うものなので、代執行は可能だが、実際は米軍が使用するわけだから実質的には「米国策」である。アメリカの世界戦略に基づく普天間基地であり、辺野古の新設基地である。
要するに辺野古の基地新設に反対する地元の意見を抑えて「国策による代執行」が可能になったというより、アメリカの世界戦略という「米国策による代執行」が貫徹されるということだ。
その「代執行」を日本政府がアメリカに代わって強制執行するというのだから、まさに言葉の正しい意味で「代執行」ではないか。
アジアに関してのアメリカの世界戦略はこのところ台湾問題に特化した感がある。
台湾をめぐって米中が火花を散らし始めたが、そのことをもろに受けて始まったのが「離島防衛」で、台湾に侵攻した中国軍は同時に先島諸島への進攻にも着手するに違いない――というアメリカの思惑に乗っかって日本は自衛隊部隊の配属を急いでいる。
しかし私にはこの離島防衛は日本の防衛線ではなく、アメリカ本土の防衛最前線なのではないかという感が拭えない。早い話が、日本は戦略的にはアメリカ・中国間の争いの、良く言えば「仲介役」、悪く言えば「捨て駒」になるのではという気がする。
この「米国策」、吉と出るか凶と出るか、日本政府の自尊・自立を希うばかりだ。