鴨着く島

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安楽神社春祭り(2024.02.11)

2024-02-12 09:30:02 | おおすみの風景

昨日は朝方少し雨がぱらつくあいにくの天気で、志布志の安楽神社の春祭りを見に行こうかどうしようかと逡巡したのだが、昼前には少し晴れ間も見えたので行くことにした。

安楽神社は「あんらく」とは読まずに「やすら」と読むのだが、外部の人間だと誰しも「あんらく」と読んでしまう(これについては後述する)。

午後2時に神事が始まると聞いていたので、余裕をもって出かけたら1時間近く前に着いた。同じ安楽(あんらく)地区の一昨日見物した山宮神社から南へ1.5キロほど下った住宅街の中に安楽(やすら)神社があるので、駐車場の心配をしたのだが、早かったせいで難なく停めることができた。

この神社の春祭りは一昨日(2月10日)に行われた山宮神社(主祭神は天智天皇)の春祭りの一環で、祭神の倭姫と玉依姫はともに天智天皇の大后と后妃である。

山宮神社は主祭神を天智天皇とし、さらにこの倭姫・玉依姫、大友皇子(弘文天皇)、持統天皇(天智天皇の皇女)、そして玉依姫の産んだ乙姫の5柱を祭り、大同2(807)年にこの6柱が合祀されて「山口六所大明神」となり、崇敬されていたわけで、それなら山口六所大明神(山宮神社)を祭るだけでよさそうなものだ。

そうしないのはおそらく安楽神社がすでに大同2(807)年の時点で祭られていたからだろう。そのため合祀したにもかかわらず単立したまま今日に至っているのかもしれない。

いずれにせよ、安楽地区の春祭りは山宮神社と安楽神社の双方で行われている。山宮神社から出発した神輿は安楽地区内の各集落を巡回し、また正月踊りも披露されながら、2日間かけて元の山宮神社に戻るのである。

さて安楽神社だが、これを「あんらく」とは読まずに「やすら」と読むのはなぜかだが、宮司さんに聞いたところ、山宮神社とこの安楽神社とはともに大字の「安楽(あんらく)地区」にあるが、安楽神社の方の小字は「安良(やすら)」で、こちらの読みで安楽と書きながら「やすら」と読ませているそうである。

「やすら」は「やすらか」の意味で、結局「安楽(あんらく)」という漢字の意味でもあるから、たしかに共存していておかしくない。

大和言葉(日本語)では「やすら」の方が正解で、「安楽(あんらく)」は後から漢字化した際に付けられた可能性が高いのかもしれない。

(※ネットで「やすら神社」を調べると、必ず鹿児島県横川町の「安良神社」がヒットする。あちらの方はかなり有名な神社であるから致し方ないにしても、もしこの安楽神社を調べたいなら、「志布志安楽(やすら)神社」としたら良い。)

さて、午後2時を待って安楽神社の祭礼が始まった。

氏子総代や関係者が本殿に向かって榊を手向けたあと、例の田の神夫婦との珍妙なやり取りがあり、それが終わると境内に今どき珍しい藁製の茣蓙(ござ)が30枚ほど敷かれ、菅笠と裃姿の作五郎(農民役)が登場し、一面の茣蓙を田んぼに見立てて田打ちの所作をする。

そのあとはいよいよ代かきだ。

真っ赤な牛2頭(親牛と子牛)を前は作五郎(農民)が牽き、後ろからは代かき用の鋤を神職が持って茣蓙の上を回って行く。牛は時々面白おかしく暴れながらともかく代かきが済み、宮司がモミ種を撒くと田んぼの仕事は終わる。次はかぎ引きである。

かぎ引きとは硬い雑木の葉や小枝を落とし、先端をVの字状(かぎ状)に残したほど良く手で握れるくらいの太さの2本の枝を用意し、二手に分かれ先端をひっかけて引き合う神事である。勝った方が豊作を得られるという。

今回は上手と下手に3人ずつの青年が引っ張り合い、子どもたちの声援の中、裸の三人の方が勝利した。豊作間違いなしだという。どうやら「出来レース」らしい。神事であれば許されるユーモアである。

最後は太鼓・三味線の音色と口説き唄とともに正月踊りが披露された。田の神様を真ん中にして円陣を組んで回りながら踊るのは、田の神へのチアーアップ作戦なのだろう。「田の神(カン)さー、豊作にしっくいやんせよ(してくださいよ)。頼んもんでなあ」との願いを込めているのだろう。

このあと神輿は再び集落を回りながら、山宮神社へ帰るそうだが、ようやく日差しが当たり少しは温もって来てはいるが、坐骨神経痛再発の心配もあり、正月踊りを見納めとして帰路についた。

帰途、旧有明町の「蓬の郷(さと)」という温泉施設に立ち寄り、冷えた体を温めて帰宅した。