ソバカリという人物は古事記の「履中天皇記」に登場する隼人で、いわゆる日向神話(天孫降臨神話)において隼人の始祖であると書かれた天孫二代目のホテリノミコト(書紀ではホスセリノミコト)の後裔である。
漢字では「曽婆訶里」と書くが、使用された漢字の意味からはこの人物の属性は読み取れない。
その一方で日本書紀の「履中紀」では同じ人物を「サシヒレ」と記す。漢字では「刺領巾」と書いている。
同じ人物なのに古事記と日本書紀では全く違う名前になっているのはなぜかという疑問が長い間あり、数年前から、どうもこうではないかという結論らしきものが得られたので記しておきたい。
古事記ではソバカリと呼び、書紀ではサシヒレと呼ぶこの人物が、どんな事績を以て登場しているかを若干述べておく。
この隼人は仁徳天皇の第二皇子である「住吉仲皇子」(スミノエノナカツ皇子)の近習であった。古事記では同じ皇子を「墨江中王」と書いて「スミノエナカツ王」と読ませており、漢字表記の違いはあっても皇子と王の違いだけなので、以降はスミノエ皇子と簡略化して書くことにする。
さて仁徳天皇の後継者をめぐって、皇后磐之媛に3人の皇子があり、長男をイザホワケ皇子、次男はスミノエ皇子、三男はミズハワケ皇子といった。
このうちまずは長男のイザホワケが履中天皇として継ぎ、そのあとにミズハワケが反正天皇が付くのだが、次男のスミノエ皇子は兄を差し置いて自分が跡継ぎになろうとして反旗を翻した。
イザホワケ皇子のいた難波宮に火を点けて兄を亡き者にしようとしたが、イザホワケ皇子は家臣の機転で大和に逃げ延びた。
そこへ三男のミズハワケ皇子が現れ、自分には天皇位を狙おうという野心はないことを示すため、スミノエ皇子を成敗しようと決め、近習の隼人ソバカリ(書紀ではサシヒレ)を呼び寄せてスミノエ皇子を殺害するよう言い含めた。
「スミノエ皇子を殺害したら大臣にしてやる」という甘言を信じたソバカリは、ついに主人であるスミノエ皇子を殺害する。
これに対してミズハワケ皇子は、
「反逆者スミノエ皇子を殺したソバカリの功は大きいけれども、それまで主人として仕えていた人物を裏切るとは不忠である」
とばかり、兄のイザホワケ皇子のもとへ行く途中で偽の「大臣就任祝いの宴」を催した時に、ソバカリを殺害する。
ソバカリはまんまと載せられて主人殺しの汚名を着せられたうえ、葬られたのであった。
この隼人をめぐる事績は古事記と書紀では登場人物やスミノエ皇子の反乱の描写などにかなりの異同はあるが、おおむね史実の反映としてよいと思われる。
ただしこの履中紀の隼人という名称の存在は史実としては無かったことで、隼人呼称は天武天皇時代以降の南九州人を指す言葉である。
したがってこの履中天皇時代以降に登場する隼人は、雄略紀・清寧紀・欽明紀・敏達紀などにも登場するが、それらは本来南九州人であり、私見では「曽津間人」(ソツマビト)という名称だったと考えている。
さて、問題はなぜ同一人物が古事記では「ソバカリ」と呼ばれ、書紀では「サシヒレ」なのかであった。
従来この名称の違いはほとんど注目されてこなかったが、私はこの名称は同じことを表現したものだと結論付けた。
まず書紀の表現の「刺領巾」(サシヒレ)から解釈してみたい。
「刺領巾」という漢字表記はそのものずばりの表現で、「領巾を腰に刺している人物(男)」という意味を表している。
「領巾」(ヒレ)は多くは「スカーフのように肩に纏う布」と解釈されるが、実は新羅から到来した「天之日矛(アメノヒホコ)」が持参した「八種(やくさ)の宝」には、「波振る領巾」「波切る領巾」「風振る領巾」「風切る領巾」という四種の「領巾」があった(応神天皇記)。
領巾がスカーフであったら、波も風も切ることは不可能である。領巾とはこの場合「剣もしくは刀」でなくてはなるまい。
こう考えた時、刺領巾とは「領巾を腰に刺(差)している人物」という意味になる。この名称であればまさに「近習者」にふさわしい。主人の傍らにいて主人を衛るのが近習の役割だからだ。
次に古事記の表現の「曽婆訶里」(ソバカリ)を解釈する。
こちらは漢字表記からその意味を引き出すことは難しい。そこでひらがな(訓よみ)で解釈することになる。
まず「そば」だが、これは「側」という漢字が引き当てられる。「あなたのそばがいい」の「そば」である。
次に「かり」だが、これは「刈」が引き当てられる。この「刈」は「大葉刈」(おおはかり)の「刈」だろう。
「大葉刈」とは、天孫降臨神話の内でも「国譲り」の段に登場する「剣(もしくは刀)」である。
書紀によると、天照大神が葦原中つ国を我が子に治めさせようと国中を見下ろすといたく荒れていた。そこで我が子たちを中つ国へ交渉に遣わすのだが、うまくいかない。
天若日子を遣わしたが中つ国の娘・下照姫を娶ってしまい、交渉は進展せず、高天原から下された矢によって天若日子は死んでしまう。
その天若日子とそっくりな国中の人物にアジスキタカヒコネがいたが、天若日子の喪がりにやって来た際に彼は天若日子と間違えられ、怒ったアジスキタカヒコネは「喪屋」(喪がりのための建物)を腰に差していた「大葉刈」(おおはかり)で切り伏せた。
(このあと高天原からフツヌシやタケミカヅチが下されて大国主の国譲りとなるのだが、それは省略する。)
アジスキタカヒコネが喪屋を切り倒したという剣こそが「大葉刈」という名であった。つまり「かり(刈)」とは剣(もしくは刀)を意味するのである。
したがって「ソバカリ」とは「側に剣(刀)を携えた人物」という意味であり、これは「サシヒレ」とほぼ同じ意味である。
イメージとして「ソバカリ」は大相撲の横綱の土俵入りに付き添う「太刀持ち」であり、「サシヒレ」は「腰に剣(刀)を差して主人の傍らに控える近衛兵」であるが、いずれにせよ主人の身近に仕える「近習者」を意味する。
そもそもなぜ古事記と日本書紀とで同じ「近習者」の名が違うのか、その由来を指摘するのは困難であるが、「ソバカリ」は和語本来の語順「側の剣(かり)」であり、「サシヒレ」は「領巾刺し」ではなく「領巾を刺す者」と返り点的な読みをするので、より漢語に近い表現であることだけは言えよう。