7月26日に開会式を迎えるパリオリンピックまであと1か月となった。
今回の目玉は開会式だ。オリンピック史上初めて競技場の中ではなく外で行われるという。その中でも「メイン会場」はセーヌ川らしい。
具体的にはどう行われるのか分からないが、とにかくどのような形であれ、数万人の警察や警備会社が出て「テロ」への警戒を担うというからこれも史上初めてではないか。
テロはイスラム過激派によるもので、何年前になるか、パリ市内何か所かで同時多発テロが起きて数十人が犠牲になっているので警備の大きさはやむを得ないだろう。
下手に競技場内で開会式を行うと、テロによって多数の各国要人が巻き込まれる恐れがあるから、外で行うようにしたに違いない。
パリオリンピックの前代未聞の競技場外開会式――このことも一種の災害だが、それよりももっと考えなければならないのがオリンピック開催日程だ。
7月26日に始まって、終わるのが8月11日という。
前回のパリ五輪の日程は不明だが、仮に同じ時期とすると、100年前(1924年)のあの頃、ヨーロッパでもやや北寄りに位置するパリではおそらく真夏と言っても日本の5月(秋なら10月)くらいの気温だったはずだ。
その当時ならいざ知らず、近年とみに暑さを増しているヨーロッパ全体の傾向から見て、7月下旬から8月上旬というのはすでにかつての日本並みの気温30度以上の日が珍しくない。
アフリカ大陸の高気圧が張り出した時は、40℃にもなろうかという暑熱が襲い、多数の熱中症による死者が出たのが報道されたこともあった。
競泳種目にとっては最適だろうが、陸上種目には最悪だ。なぜもっと涼しい季節を選ばなかったのだろう。
これも例のアメリカのメディアによる「アメリカのスポーツシーズンである稼ぎ時の秋には開催しないでくれ。その代わり暇な夏場ならそれなりの対価を支払う」という金まみれのごり押しの故か。
選手ファーストならぬ米メディアファーストはオリンピックの私物化だ。日本でも同じ構図でオリンピックをめぐる利権が長いこと取り沙汰された。
ただマラソンだけは涼しい北海道での開催となったのが救いだったが、秋に開催すれば東京中心の一か所で済んだだろうに。
もうオリンピック開催地は各国持ち回りを止めて、古代競技会発祥の地で近代オリンピック第一回開催地であるギリシャのアテネに固定して欲しいと思う。
そもそも近代オリンピックはスポーツを通じて各国が相互理解を深める「平和の祭典」「参加することに意義がある」という理念で始まった。
既に各スポーツによる「世界大会」「国際大会」は一年中どこかで行われており、スポーツによる国際交流は日常化しているではないか。
近代オリンピックが「国際的な平和交流の要」としての位置づけを保つのであるのならば、過度の国家間競争やメダル争いに終始するのではなく、古代競技会から昇華した近代オリンピックの最初の理念に立ち返り、アテネでの恒常的かつ最適な気候の下での開催を望みたいものだ。