今朝のテレビで9月15日の「敬老の日」が制定されるまでの経緯を放映していたが、それによると1947年9月15日に兵庫県の多可郡野間谷村で「としよりの日」という名の行事が開催されたのが嚆矢だという。
当時の野間谷村の村長が戦後の道義的な混乱を目の当たりにして「年寄りを大事にしない村に未来はない」との発案で始めたという。その後は兵庫県下に広がり、ついには全国にまで波及することになった。
政府はその成果を取り入れて「としよりの日」を定め、その後名称変更で「老人の日」となり、「老人」の語感が悪いと1966年に正式に「敬老の日」が制定された。
ところが実は鹿屋市吾平町ではとっくの昔の明治時代から「敬老会」が定められていた。当初は「お年寄りの日」という名称だったようだが、明治40年頃には始まっており、途中、戦時中と戦後まもなくを除いて連綿と続き、去年は「第114回」であった。
去年は11月5日が敬老会だった。敬老会では祝賀行事の一環として各種の演芸が催される。広い舞台付きの体育館(大ホール)に集うのは70歳以上である。(※「美里」は「うましさと」と読む。吾平町の自然と農業に恵まれた環境を指し、某大学教授(故人)の提案でそう呼ばれるようになった。)
この敬老会を取材する新聞社があれば、「敬老会の始まりはここ吾平町」などと書くのだろうが、60年前に国で「敬老の日」という国民の祝日が法令化された以上、あとの祭りということだろう。
しかしこれをギネスブックに申請したらどうだろうか?
百年以上続く敬老の行事などおそらく世界でも稀に違いない。