「そこまで言って委員会」(読売テレビ)は日曜の午後の番組として人気があるが、今回はレギュラーコメンテーターの竹田恒泰氏が中学校用の日本史の教科書を執筆し、文科省に申告していることを取り上げていた。
竹田恒泰氏は旧皇族の竹田宮の出身で、父の恒和氏はオリンピック委員としてその名が高かったが、国際オリンピック連盟(IOC)の某委員に賄賂を贈ったとして取り沙汰されたことがあった。
ただし私腹を肥やしたわけではないので、今回の2021東京オリンピックの開催に当たって私腹を肥やした某広告会社の人物とは一線を画せる人であった。
それはそれとして息子の恒泰氏は才気煥発の人で、歴史には並々ならぬ関心と知識を持ち併せており、歴史教科書を書いたことにさほどの驚きはない。
他のコメンテーターたちの質問に答える竹田氏。
ただ旧皇族という立場であるから、一般的に天皇制擁護の論陣を張るのは予想ができる。
中でも古代史以前の日本文化の発展に関して、一般史学的には中国発祥のものが朝鮮半島経由で日本にもたらされた結果とされているが、そこに異議を唱え、中国大陸からの直接的な伝播の方にシフトすべきだとしているようだ。
稲作にしろ鉄器にしろ銅鏡にしろ、朝鮮経由が全くないとは言えないが、むしろ大陸との直接の交流によってもたらされたとする方が、受動した文物の多様性から見て本流の可能性が高い。
(※先日、鹿屋市の吾平振興会館で肝付町(旧高山町)出身という元新聞記者だった古代史研究家のU氏の講演を聞いたが、氏の説では南九州のクマソは中国南部(呉越)あたりからの渡来人で、先進的な文物を携えて来たゆえ、南九州をはじめ九州各地に勢力を拡大して「九州王朝」をつくり、そこから全国に打って出たそうである。竹田氏のはクマソと特定するものではないが、中国勢力の流れが列島の古代を彩ったと考えているのとは当たらずと言えども遠からずか。)
中で某女史が投げかけたのが「竹田日本史は邪馬台国問題を避けているのでは?」という質問だった。
皇族とはつまり大和王権の系譜につながる者だから、山口女史は当然「邪馬台国畿内説」を教科書に書くものと思っていたらしい。
ところが竹田氏の見解は邪馬台国九州説であった。その論拠は示さなかったが、解釈の上で様々な説があり、中学校の生徒対象の教科書としては煩雑過ぎると考えて、あえて邪馬台国の所在地問題については触れなかったのだろう。
賢いと言えば賢いやり方である。
氏が最も提起したかったのは、古墳時代を「大和時代」とすることだったという。
平安・平城(奈良)・飛鳥と時代をさかのぼり、その次は「古墳時代」となるわけだが、古墳時代にはすでに奈良の古称である大和地方に王権があったのだから「王都としての大和」を時代名にすべきだという考えである。
3~6世紀に古墳という埋葬施設が大小多様に作られたのは史実だが、古墳という考古学的な物だけでは歴史を語るには不十分過ぎる。記紀やその他の文献を捨て去っては歴史の神髄は得られない。
当時の王権の都合のいいように書かれたのも史実であり、そこをどう拾捨勘案して再構成するかが歴史家の腕の見せ所だろう。