昨日の8日は77年前に日本軍の真珠湾攻撃(日米開戦)があった日だが、今年の8日(7月)は安倍元首相が暗殺された日として記憶に残っている。
安倍元首相が、奈良県の近鉄西大寺駅前で参議院選挙候補者の応援演説中に背後から忍び寄った男・山上徹也容疑者の改造拳銃で撃たれ、そのまま息を引き取った事件だが、ちょうど5か月前のことであった。
山上容疑者は精神鑑定を含め、今なお「鑑定留置」という措置が取られており、精神鑑定医の検査の下に置かれているという。
鑑定医は精神鑑定はもちろんだが、成育歴なども詳しく調べているようだ。その中から暗殺の動機も解明できるようだが、12月8日付の朝刊にはその様子が4面記事に紹介されていた。
山上容疑者がこの事件を起こした理由としては、母が旧統一教会の信者となり、1億円という多額の寄付をしたことによって家族の経済状況がめちゃくちゃになり、本人は行きたい高校にも行けず、社会のルートから外れて行ってしまったことにあったことは知られている。
この際、母を憎むという方向には行かず、旧統一教会そのものを憎む方へ思いを募らせて行った挙句、統一教会に肩入れしているとしか思えなかった安倍元首相に刃が向けられたのだった。
このことが安倍元首相を狙撃した直接の理由だが、刃の先が旧統一教会でもなく自分の母親でもなかったのは不思議と言えば不思議である。
彼にとって母親は小さい頃に自殺してしまった父親亡き後、最大の心の拠り所だったので手に掛けられなかったのだろう。また旧統一教会は母親が熱心に通い詰めている場所であり、母親想いの彼には教会は憎いがそこを襲撃したら母親が悲しむかもしれない、居場所がなくなるかもしれない――との想いが心のどこか片隅にあったゆえ、襲撃できなかったのではないか。
鑑定留置中の山上容疑者に寄り添っている鑑定医に対し彼はこんな供述をしているそうだ。
<母親は統一教会の用事があって、学校の授業参観に来なかった。>
このあとを彼の心を忖度して続ければ、<だから母親から見捨てられたようで悲しかった。クラスの友達に引け目を感じた。>だろう。
父親がいて、授業参観でもPTAでも何でも、母親がちゃんと学校に顔を出していたのに、父親が自死し、母親が旧統一教会に入り浸るようになってからすっかり学校に来なくなったのが寂しかったのだ。母親想いの彼にとってこれは非常に由々しきことだったに違いない。
そんな心の傷も母親が気付いてすぐに回復されればしこりとして残らないが、山上容疑者の場合は、母親が完全に統一教会の虜になったためこころの傷はそのまま放置されてしまったのだろう。
ところが私の場合だが、母親は授業参観は無論のこと、PTAの会合にも、何と入学式・卒業式にも来なかったのである。
母親は小学校の教師であり、私の通学する小学校と同じ地域の学校に勤務していたので、どうしても私の小学校の入学式・卒業式と重なってしまい、担任を持っていた母が来ることはできなかった。
このことを考えると私なども山上容疑者同様に暴発してもおかしくない。しかし彼の場合は母親が旧統一教会に多額の寄付をした(させられた)ために家庭が破産状態に陥ってしまったのだが、私の場合はそうではなかった。
父親も教師で、当時の教師の給料は安かったらしいが、母親とのダブルインカムで4人兄弟だったが経済的には困るようなことはなかった。
しかし心理的には山上容疑者同様、母親が常に近くで寄り添うようなことはなかったため、淋しさが常に介在していた。
朝学校に行く時には母親が先に出勤しているので「行ってらっしゃい。忘れ物はないね」もなく、学校から帰って来ても「お帰り。今日はどうだった」もなかったのだ。山上容疑者がこれを聞いたら溜息をつくかもしれない。「嘘だろっ!」と。
慣れてしまう他なかったのだが、慣れ切れなかった弟は中2の時にとうとう学校を休むようになってしまった。そして精神科のもとへ・・・。「過ぎてしまえば」というトップギャランの唄があるが、いまだに過去のこととは思えないのである。
安倍元首相が、奈良県の近鉄西大寺駅前で参議院選挙候補者の応援演説中に背後から忍び寄った男・山上徹也容疑者の改造拳銃で撃たれ、そのまま息を引き取った事件だが、ちょうど5か月前のことであった。
山上容疑者は精神鑑定を含め、今なお「鑑定留置」という措置が取られており、精神鑑定医の検査の下に置かれているという。
鑑定医は精神鑑定はもちろんだが、成育歴なども詳しく調べているようだ。その中から暗殺の動機も解明できるようだが、12月8日付の朝刊にはその様子が4面記事に紹介されていた。
山上容疑者がこの事件を起こした理由としては、母が旧統一教会の信者となり、1億円という多額の寄付をしたことによって家族の経済状況がめちゃくちゃになり、本人は行きたい高校にも行けず、社会のルートから外れて行ってしまったことにあったことは知られている。
この際、母を憎むという方向には行かず、旧統一教会そのものを憎む方へ思いを募らせて行った挙句、統一教会に肩入れしているとしか思えなかった安倍元首相に刃が向けられたのだった。
このことが安倍元首相を狙撃した直接の理由だが、刃の先が旧統一教会でもなく自分の母親でもなかったのは不思議と言えば不思議である。
彼にとって母親は小さい頃に自殺してしまった父親亡き後、最大の心の拠り所だったので手に掛けられなかったのだろう。また旧統一教会は母親が熱心に通い詰めている場所であり、母親想いの彼には教会は憎いがそこを襲撃したら母親が悲しむかもしれない、居場所がなくなるかもしれない――との想いが心のどこか片隅にあったゆえ、襲撃できなかったのではないか。
鑑定留置中の山上容疑者に寄り添っている鑑定医に対し彼はこんな供述をしているそうだ。
<母親は統一教会の用事があって、学校の授業参観に来なかった。>
このあとを彼の心を忖度して続ければ、<だから母親から見捨てられたようで悲しかった。クラスの友達に引け目を感じた。>だろう。
父親がいて、授業参観でもPTAでも何でも、母親がちゃんと学校に顔を出していたのに、父親が自死し、母親が旧統一教会に入り浸るようになってからすっかり学校に来なくなったのが寂しかったのだ。母親想いの彼にとってこれは非常に由々しきことだったに違いない。
そんな心の傷も母親が気付いてすぐに回復されればしこりとして残らないが、山上容疑者の場合は、母親が完全に統一教会の虜になったためこころの傷はそのまま放置されてしまったのだろう。
ところが私の場合だが、母親は授業参観は無論のこと、PTAの会合にも、何と入学式・卒業式にも来なかったのである。
母親は小学校の教師であり、私の通学する小学校と同じ地域の学校に勤務していたので、どうしても私の小学校の入学式・卒業式と重なってしまい、担任を持っていた母が来ることはできなかった。
このことを考えると私なども山上容疑者同様に暴発してもおかしくない。しかし彼の場合は母親が旧統一教会に多額の寄付をした(させられた)ために家庭が破産状態に陥ってしまったのだが、私の場合はそうではなかった。
父親も教師で、当時の教師の給料は安かったらしいが、母親とのダブルインカムで4人兄弟だったが経済的には困るようなことはなかった。
しかし心理的には山上容疑者同様、母親が常に近くで寄り添うようなことはなかったため、淋しさが常に介在していた。
朝学校に行く時には母親が先に出勤しているので「行ってらっしゃい。忘れ物はないね」もなく、学校から帰って来ても「お帰り。今日はどうだった」もなかったのだ。山上容疑者がこれを聞いたら溜息をつくかもしれない。「嘘だろっ!」と。
慣れてしまう他なかったのだが、慣れ切れなかった弟は中2の時にとうとう学校を休むようになってしまった。そして精神科のもとへ・・・。「過ぎてしまえば」というトップギャランの唄があるが、いまだに過去のこととは思えないのである。
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