鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

小さな国の大きな功績

2022-06-10 20:45:01 | 専守防衛力を有する永世中立国
このところ繰り返される北朝鮮によるミサイル発射と核開発に関して、4月に国連安全保障理事会に提出された「北朝鮮制裁決議」は安全保障理事会の常任理事国であるロシアと中国の拒否権発動によって不採択となった。

ところがこれに対して異議を申し立てた国があり、「拒否権を発動した理由を説明せよ」という拒否権説明決議が総会に提議され、ついに総会において採択されるに至った。

その「拒否権説明決議」を主導したのは、リヒテンシュタインの国連大使だったという。

リヒテンシュタインという国についてはヨーロッパの小国ということ以外、あまり知られていない。自分もそうだったので外務省のサイトを開いて確認してみた。

すると驚くではないか。スイスとオーストリアの中間に位置する国で、面積僅か160平方キロ、人口に至っては約4万人しかなく、国というには余りに小さい国だが、1806年に独立している。(※1868年には非武装になっている。)

王国であるが一院制の議会を持ち、議員数はたったの25名で選挙によって選ばれる。省は五つあり、首相のほかに5名の大臣がいるという。

自分の住んでいる鹿屋市は人口が約10万で、面積は480平方キロはあるから、リヒテンシュタインの三倍近い。何だかおとぎ話のようで笑ってしまうほどだが、国連には加盟しており、今回の「拒否権説明決議」を提議したのはリヒテンシュタインの国連大使ウェナウェザー氏であった。

ウェナウェザー大使は「安保理で常任理事国が拒否権を行使したら、その時点で論議がすべて終わりになるのはおかしい」という考えで今回の決議案を上程したようだ。まさに正論である。

正論であればどんな小さな国の提議であろうと受け入れられる国連のプラス面が示されたといってよい。

そもそも中国共産党政府が1972年に国連加盟し、同時に国民党政府(台湾)と入れ替わって国連安保理の常任理事国になったのがおかしいのだ。

1945年の国際連合創設時の「原加盟国」でも何でもないどころか、共産党国家としての形すらなかった共産中国が国連安全保障理事会の常任理事国になる根拠はない。ましてや1950年7月に始まった朝鮮戦争では、人民解放軍ではなく義勇軍という名ではあったが、アメリカと戦っているのである。

そんな国を国連に加盟させるまではいいとしても、国民党政府(台湾)に代えて安保理の常任理事国に据えてしまったのは全く筋が通らない。常任理事国とは名ばかりで、国連分担金も「我が国は発展途上国だから」という理屈で満足に払ってはいないのだ。

今度のウクライナ戦争では安保理の常任理事国であるロシアが当事国になってしまった。もう安保理の常任理事国としての資格は失せたと考えるべきだろう(中国共産党政府とともに・・・)。

アメリカのバイデン大統領は「日本を常任理事国に」などとリップサービスに努めているが、日本はドイツと並んで第2次大戦の戦敗国であり、戦勝国(連合国)の集団的自衛権発動クラブである国際連合の理念からすれば到底無理である。

しかし今度のリヒテンシュタインの提起したことが起爆剤になって国連改革、なかんずく「旧敵国条項(53条)」が取り払われ、第2次大戦による戦勝・戦敗の桎梏から解放されるようなことがあれば期待は持てる。

前平式土器(11000年前の土器)

2022-06-08 21:31:00 | 古日向の謎
都城歴史資料館で5月20日から、<食とくらしと縄文人>という特別展示が催されているというので見学に出かけた。

その特別展示の目玉は、何と言っても都城市山之口町の「相原第1遺跡」から大量に出土した縄文時代早期前葉の「前平式土器」である。

相原第1遺跡は山之口町と三股町との境に近く、令和2年から3年に掛けて行われた農地整備自事業に伴う発掘調査によって発見された。

資料館でもらったパンフによると次の特徴がある。

【(タイトル)11000年前の縄文村発見!

 相原第1遺跡では令和2~3年に調査を実施した結果、約11000年前の集落跡が発見されました。

 竪穴建物跡の中には、建物内で火を焚いていた跡(炉)が確認されたものもありました。南九州の早期前葉の竪穴建物跡から炉が発見される例は少なく、貴重な発見といえます。

 また、ツルマメとアキノエノコログサの圧痕土器も見つかっており、当時の植物利用が分かる遺跡です。】

パンフの説明通り、この遺跡は11000年前の当時の山之口町一帯の(広く言えば古日向一帯の)人が生活していた跡の基本的な条件を示している貴重な遺跡だ。竪穴式の住居跡の中に「炉」があったらしく、明治以前の日本家屋には必ず「囲炉裏」があったことにもつながって来るから不思議だ。

また土器に付いた「圧痕」にツルマメとエノコログサが見られたことは、当時の食糧事情の一端を示しており、これも重要な発見である。



特別展示室の真ん中に展示の「前平式土器」。二つの土器には大きさの違いがあるが、口縁の刻み方などは同じである。
左手のはやや小ぶりで高さ20センチくらい、平底で細長い円筒形(バケツ型)。右のは高さ30センチほどで、直径が2倍くらいあり、こっちは寸胴タイプだ。

錦江町田代の鶴園で発見された岩本式土器群は、この前平式と同じ時代で、同じく平底だがもっと図体の大きな物ばかりだった。(※他に最古級の土器としては吉田式というのがあるが、吉田式の方が貝殻文様がはっきりしているようだ。)

相原第1遺跡から発掘された土器は縄文早期前葉の前平式土器だけというから、ここの集落は前平式土器の起源地と言っていいのではないだろうか。

その一方でこの集落は他のデザインの土器を生み出す前か、もしくはよそからの土器型式を導入する時間を持たないうちになくなったようなのだ。いったい何があったのだろうか?

火山災害による拡散か、はたまた疫病による死滅か。

いずれにしても東日本の縄文文化よりはるかに早熟だった南の縄文(貝殻文)文化は、7300年前に起きた「鬼界カルデラ大噴火」の前になす術もなく、壊滅した。

ただし、逃げおおせた者たちがいたことは明らかで、7000年前以降に本格化する東日本の縄文文化に影響を与えたことは間違いないだろう。

中部から信越地方に見られる「火焔型土器」のデコレーションはまさしく「火焔」であり、そのモチーフは南九州をしばしば襲った巨大噴火だったのではないかと思われないこともないのである。

MQー9の鹿屋基地配備

2022-06-05 21:32:57 | 日本の時事風景
今日の午後、この7月から海上自衛隊鹿屋航空隊基地に配備されるというMQー9という米軍の無人飛行機部隊についての説明会があった。

主催は防衛省(九州管区)であり、配備に適しているとして鹿屋市に交渉に来たのだが、市民に対して説明責任を果たすべく、5か所で住民対象の説明会が開かれたので聞きに行って来た。

今日が最終日で、鹿屋市の野里町集落センターで午後2時から開催された。

集落センターにはおよそ50名くらいの住民が集まり、防衛省から配布された2種類の冊子を見ながら約30分、途中、このMQ―9のプロジェクター映像も上映された。

説明の趣旨は「東アジアの不安定化の要因である中国の日本周辺での海軍および海警船の動きを察知し、中国の進出に対して抑止力を増大させるために配備が必要であり、期限は一年とする」というものであった。

違和感を感じたのは「配備」という用語は使われず、「一時展開」だったことだ。常識的には「一時」というのは数週間か数か月だろうが、それを「一時展開」では一年間を想定しているという。

そこで質問したが、「一年で中国に対する抑止の効果が出ればよいが、出なかった場合、米軍は引き続き駐留するのか、それとも海上自衛隊鹿屋航空基地に属する自衛官が米軍の無人機取り扱いを習い、その後は鹿屋航空隊が無人機を保有して運用に当たるのか――」、であった。

防衛省の答えは、自衛隊の防衛能力のランクアップに結び付けたいという方向性は持っている。現在、鹿屋基地ではPー1対潜哨戒機の運用を日常業務としているが、それを大幅に補完する意味でも無人偵察機は重要だ、ということだった。

今日初めて知ったのだが、中国も無人偵察機は所有しており、しばしば南西諸島近くに飛ばしているそうだ。中国のアメリカに対抗しての国防への注力にはすさまじいものがあり、無人偵察による活動もその一環だ。

もう一つの質問は、「米軍の要員は150~200人規模になり、鹿屋基地内では宿泊せず、民間のホテルなどを借りるそうだが、米軍人の居住地から鹿屋基地までの通勤や退勤は公務になるのか。その途上で交通事故を起こした場合に、もし当て逃げやひき逃げをして鹿屋基地内に逃げ込んだ場合、日本の警察の捜査権はどうなるのか――」である。

防衛省の答えは、「基地内に逃げ込んでも、米軍所属の憲兵が拘束し、日本側と連絡を取り合い、必要とあらば警察に引き渡すようになるだろう」ということで、若干曖昧な言い方であった。

その他、参集の住民からは10くらいの質問が出たが、「日米地位協定を廃止してもらいたい」という反対派から「国防に協力したいので多少の騒音等は我慢できる」という賛成派まで、様様な意見が述べられた。

騒音問題や米兵の規律問題のほかにやはり多かったのが、18年前の沖縄国際大学への米軍ヘリコプター墜落事件だった。あのような事故が起き、日本の警察の捜査権が無視された事案のようなことがありはしないか――という危惧である。

結局あの事案は、ヘリコプターが墜落したのは公務中であったから、その直接の原因引き起こしたであろう乗員に対する捜査も裁きも日本の管轄ではない――という日米安保に付随する日米地位協定によって葬り去られた。

軍事は法律を凌駕する。「本当は怖い日米地位協定」なのだ。

「二つの戦争」田原総一朗の原点

2022-06-03 08:52:30 | 日本の時事風景
田原総一朗はジャーナリストというよりテレビのキャスターという印象が強い。

独特の鋭い切り口でやや早口でしゃべる人だが、舌鋒の鋭さに似ない愛嬌(!?)のある表情が得をしているのか、「朝まで生テレビ!」
という深夜番組のキャスターを勤めて今年で35年になるという。

この手の内容では超長寿の部類に属しているというか、分野を問わず、長さの点だけでも、おそらく定期番組ではあの「笑点」に次ぐ長さだ。

驚くべきはそれだけではない。番組の長寿もだが、この人は昭和9(1934)年生まれだから今年で88歳であり、現役のキャスターではもちろん最年長である。しかも断トツの!

この分で行くと90歳までは続行できるのではないか。作家の佐藤愛子が90歳になった時に『90歳、何が目出度い!』というエッセーを発表して大きな話題になったが、その年までやったとしたら話題性では佐藤愛子を凌駕すること請け合いである。

何しろ男性は女性より平均寿命が、7つばかり下回っているのだ。つまり男の90歳は女の97歳に相当するわけで、長生きの女でも、その歳で定時番組をこなせる者はいないだろう。

現役の女性画家とかピアニストとか佐藤愛子のような女流作家はいるにはいるが、放送番組にゲストとして呼ばれて出演することはあっても、番組の運営側に回るようなことはない。

したがって、番組の内容や田原総一朗の政治的な主張は別にして、男の一人としてただ単に「現役で頑張れ!」と応援したくなる。

その田原総一朗がジャーナリストになった要因は、「二つの戦争」にあったという。

一つは日本人ならだれ一人外せない「太平洋戦争」であり、もう一つは「朝鮮戦争」である。

太平洋戦争については体験者であれば誰しもきわめて大きな影響を受けたのは了解できるが、朝鮮戦争を挙げたのは意外だった。

まず、意外だと思った朝鮮戦争の方から取り上げよう。

といって田原総一朗が朝鮮戦争の原因と結果について論評を下しているわけではない。朝鮮戦争(1950年勃発、1953年に休戦協定。当時は朝鮮動乱と呼ばれた)の最中に高校生だった田原が教師に「戦争は反対だ」と言ったら、教師から「お前はアカになったのか」と言われたのにカチンと来たのだそうだ。

当時の朝鮮では北からの共産軍勢力が強く、一時は半島南部まで制圧されかかったのを、米軍の上陸反攻により現在の休戦ラインまで押し返し、1953年7月に休戦協定が結ばれて今の姿があるのだが、高校教師としては米軍が後押ししたがゆえに朝鮮半島の全面的な共産化(アカ化)が防げたので田原にそう言ったのだろうが、余りにも踏み込んだ発言だったには違いない。

田原としては「アカでもクロでもシロでもなく、ただ単に戦争はダメだ」と青年らしい潔癖感で言ったのだろう。頭ごなしに決めつける言い方をされるのを最も嫌い、反発する年頃であったのだ。

この反発、反抗心が後年の田原総一朗を生み育てたとも言えなくもない。当時の教師はもう鬼籍に入っているだろうが、以て瞑すべしか。

さて初めの戦争すなわち太平洋戦争だが、この戦争の評価はいわゆる東京裁判(極東軍事法廷)という「勝者の勝者による勝者のための裁判」という公正を欠いた欠陥裁判によってA級戦犯7名が軍国主義者に仕立て上げられ絞首刑を受けたわけで、戦前の日本はことごとく「軍国主義に染まり、馬鹿げた戦争への道をひた走った悪の枢軸国」であったかのように仕組まれてしまった。

この意識は戦後の日本を取り仕切った連合国占領軍、中でも米軍の思惑通りに日本人の頭に植え付けられた。

田原総一朗は太平洋戦争の頃に10歳前後の多感な少年時代を迎えており、「日本の戦争はアジアを欧米の植民地から解放する戦いだ」という戦争観に共鳴し、軍人を志したのだが、敗戦になると一転して学校では「太平洋戦争は悪い戦争だった」と教えるようになったことに手のひら返しの屈辱を感じたようだ。これが「大人は信用ならない。事実を事実として自分の目で見よう」と、田原をしてジャーナリズムを志させる原点だった。

その反骨精神を88歳になる今の今でも心の中に持ち行動している人はそう多くあるまい。

今度のロシアによるウクライナ侵攻は、田原自身のまごうことなき目にどう映っているのだろうか。もちろん戦争には反対を表明するだろうが、終戦への道の落としどころをどう見るか、「堂々と老いて来た」ジャーナリストの心眼を待ち望む。

(※このブログは南日本新聞の令和4年6月1日付文化欄「ハーベストタイム=ジャーナリスト田原総一朗さん」を参照した。)


ウクライナ戦争と日米・日露関係

2022-06-01 16:12:53 | 専守防衛力を有する永世中立国
5月23日、バイデン大統領が日本を初めて訪れた。その前日には韓国を訪れている。

バイデン大統領はこの訪問中に予想された対ロシア「拡大戦力」の提唱のほかに、驚くべき二つのことを提示した。

一つは新しい経済枠組みである「IPEF」(アイペフ=インド太平洋経済枠組み)であり、もう一つは「日本を国連安全保障理事会の常任理事国に推挙する」というものだ。

まずIPEFだが、これはもともとアメリカが言い出したのに自らは離脱してしまったTPP(環太平洋連携協定)の代わりに今度提唱して来た多国間経済協定で、中国の封じ込めを狙っており、まずはASEANの7か国と日米韓の3か国の合計10か国で始めようというものである。

それだったらTPPを離脱しないでもよさそうなものだが、このIPEFは関税等の貿易上のルール作りを目指したTPPとは違い、知的財産権等の保障が中心になるという。中国の知的財産権の侵害に業を煮やしての提唱なのだろう。

その一方で、関税等の貿易に関する取り決めでは、アメリカは貿易相手国と個別に二国間で交渉するという前トランプ政権のやり方をそのまま踏襲するようだ。アメリカの「ナショナルインタレスト第一主義」国らしい手口だ。

もう一つの提示が「日本の安全保障理事会の常任理事国推挙」だが、これは単なるリップサービスだろう。

何しろ日本はドイツ同様の「旧枢軸国」であり、国際連合設立の意義「枢軸国に戦勝した連合国同士が束になり、これからの世界の戦後秩序を維持して行こう」という理念からはつまはじきされいるのだ(国連憲章第53条)。

旧枢軸国は雲散霧消したのは明らかであり、国連憲章53条は削除するか、大幅に改正するかしない限り、日本やドイツがいかに国連に対して忠誠を誓い、国連分担金も遺漏なく支払ってきたとしても、日本やドイツの常任理事国就任は有り得ない話になる。

第一に、日本が常任理事国に推挙されたとしても、まずロシアと中国が拒否権を発動して没になるに決まっている。

それに日本はアメリカとの間に日米安全保障条約という強固過ぎる二国間軍事同盟を結んでいる。もし常任理事国になったとしても、日米安保がある限り、日本はアメリカのイエスマンになるだけだ。

そういう日本を他の国々はどう思うだろうか? 「主体性のない国だ」と嘲笑われるのがオチではないか。

国連憲章の精神も、本来は二国間軍事同盟を禁じ、国家間の紛争は多国(連合国)間で平和的解決を目指そうというものである。したがって二国間軍事同盟である日米安全保障条約は国連憲章上は違憲(違反)ということになる。

バイデン大統領が日本の安保常任理事国入りを提示したのは、そこを熟慮してみると日米安保は解消してもいいというシグナルともとれる。

そんなバカげたことを、と返されるに決まっていようが、前大統領のトランプも「日米同盟はアメリカが一方的に日本を守るだけの同盟じゃないか、おかしくないか」と吼えている。つまり無くしたって構わない――と言っていたのだ。

バイデンの本意は「ロシアなんかに代わって日本が常任理事国になった方がよほどいい」ということであり、実はロシアに対するけん制あるいは揶揄の類なのだろうが・・・。(※果たしてバイデンは日米同盟の解消まで示唆したのか、今後の言動を注視しよう。)

たしかに、今のロシアに安全保障理事会常任理事国の資格は全くない。

そもそもこの地位は旧ソ連時代に対ナチス戦争に多大の犠牲を払ったスターリンへの御褒美である。また対日戦争を早く終わらせようとしていた英米首脳のチャーチルとルーズベルトのスターリンへのリップサービス「日ソ中立条約などどうでもよいから、北から日本を攻めてくれ。そうしたら北方領土くらいはやるよ」も特別報奨であったのだ。

この機会にこの報奨も反故にすべく、元来の日本領土である北方4島へのロシア人不法占拠者を自衛隊が排除しても、国際法上は何の問題もないのだが、防衛省はそこまではやらんだろう。

そこまではやらないにしても、日本の外務省と防衛省ははっきりと釘を刺す声明は出すべきではないかと考える。