鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

「日本創生解散」だそうな――。

2024-10-11 10:05:25 | 日本の時事風景
10月9日の午後の衆議院本会議で、「解散詔書」が読み上げられ、衆議院は解散された。

15日が告示、27日が投開票となった。

9月27日に高石早苗氏(経済安全保障大臣)に逆転勝利した石破茂自民党新総裁だが、10月1日に新首相に任命されてわずか8日後の衆院解散は現憲法下では史上最速だそうだ。

総裁選の際には――衆院で予算委員会を開き、各大臣への質疑応答などを含め、本人自らが所信を述べ、特に案件となっている「裏金問題」「裏金議員」の処遇はじめ政治改革について「国民の前」で丁寧に説明責任を果たす――と言っていたのだが、予算委員会開催を無視して解散に走ったわけだ。

最速が「拙速」にならなければよいが・・・。

党内最要職役員の幹事長になった鹿児島4区出身の森山氏が今回の選挙の「陣頭指揮」を執ることになったが、非公認問題では6名の要職経験者に加えて新たに6名が加わったが、総数12名はいかにも少ない。

森山氏は政敵をつくらず、党内融和に長けた人物として定評のある人だが、今度の公認問題ではしこりが降りかかりそうだ。

解散の前に党首討論が行われたが、さすがに論客として鳴らしていた石破新首相の応答はかなり明瞭だった。ただしそれは総論に限ればの話であって、各論に話が及ぶと抽象的な一般論へとトーンダウンする。

野党党首の突っ込みどころは当然「なぜこんなに早く解散を打つのか、総裁選での公約であった予算委員会開催はどうした」であり、野党党首たちは敵前逃亡解散だ、裏金隠し解散だなどと石破首相の変節をやり玉に挙げた。

当の石破首相は「日本創生解散」と銘打ったが、結果はどう出るか。

その一方で持論の「防災省」の設置については、まず「防災庁」発足への足場固めを指示しているのは支持できる。防災は天災大国日本の喫緊の課題である。何よりも迅速さが必要だ。

だがその一方で日米安保に関して、持論の日米地位協定の改正をアメリカ側に伝えていないようだが、総理大臣になるとどの政治家も対米忖度(隷属)があからさまで、石破首相よ、あんたもかと言いたくなる。

石破氏の名前である「茂」は政治家であった父親から吉田茂元首相にあやかって付けられたらしいが、1951年9月に結ばれた「サンフランシスコ平和条約」への全権として訪米した吉田首相は同時に日米安保に渋々調印したのだった。

(※日本から占領軍(ほぼ米軍)が引き揚げる根拠となったのが平和条約締結だったが、アメリカは丸腰になってしまう日本の安全をおもんぱかって結んだのが日米安保(旧)だが、10年の期限が切れる際に改定新安保を結んだのは故安倍晋三氏の外祖父の岸信介元首相だった。)

今、吉田茂が生きていたら、「もうアメリカとの二国間条約は止めて、集団的安全保障に移行しよう」と石破氏の持論を支持したかもしれない。

縄文の森がリニューアルオープン

2024-10-07 19:17:20 | おおすみの風景
旧国分市(霧島市)の上野原遺跡にある展示施設「上野原縄文の森」が10月5日にリニューアルオープンした。

上野原は旧国分市が開発しようとしていた工業団地で、開発前の事前発掘調査によって見つかった縄文時代早期の遺跡が見つかった。私は平成9(1997)年の春にあった説明会に出かけたのを覚えている。

何しろ古い遺跡で、南九州ではどこでも普通に堆積している「鬼界カルデラ」由来の「アカホヤ火山灰」の下に目を見張るような遺物が眠っていた。

平底で角型の薄手の土器群や「縄文の壺」まで出土したことで一躍有名になった。

また住居跡の遺構が多数出土したのも驚きで、日本全国を見渡しても定住の分かる最も古い遺跡である。

鬼界カルデラの噴出は火山学によって約7400年前と確定されており、その火山灰層の下からであるから少なくとも8000年前の遺跡ということになった。

この年代でも十分に古いのだが、最近になってさらにその1500年ほど前ということが分かった。

そのため展示遺物や遺構の年代全体をさかのぼらせる必要があり、約8か月かけて展示替えを行っていたのだが、昨日(10月5日)にリニューアルオープンしたのだ。
長さ15mはあろうかという壁一面に、手前から13000年前の最古の縄文土器「隆帯文土器」から1000年から2000年を単位としてそれぞれの時代を代表する南九州の縄文時代の土器群がずらりと展示されているが、圧巻である。

一部に弥生時代の美しい壺があったりしたが、基本的に館内はすべて縄文時代の遺物展示に限っていて、南九州の縄文時代がいかに先進的で多様性に富んでいたかを中心のテーマとしている。

北の縄文文化が世界遺産(北海道・北東北地域)になったが、上野原遺跡はじめ南九州の縄文文化もそれに引けを取らない。遺物では角型の土器や壺型土器などは国内のみならず、世界中に比肩するものはない。しかも古い。

是非とも世界遺産に挙げて欲しいものだ。

孫を連れて行ったが、満更でもなさそうだ。気分は縄文人!

ブロッコリーの苗を定植

2024-10-04 09:35:40 | 日記
台風10号が襲来する8月24日、25日ごろまで、今年の夏は暑さもだが、8月に入ってからはほとんど雨らしい雨が降らず、菜園もカラカラ状態だった。

だから――台風10号が雨をもたらして乾燥状態から解放される上に、通過とともに西風が吹き込み気温もぐっと下がるのでは――

と期待して播種したのが秋冬用の野菜と葉ボタンなどの花だったが、あに計らんや、通過後は再び猛暑がぶり返し、蒔いた種のほとんどは高温障害のためやられてしまった。

特に葉ボタンとブロッコリーは全滅だった。そもそも葉ボタンにしろブロッコリーにしろこれらはアブラナ科の植物だから、寒さにはめっぽう強く、少々遅蒔きにしても十分間に合うのだった。

どうも園芸店(自分の近所の店では園芸コーナー)に同じものが並ぶのが早過ぎるのだ。それにつられて「ああもう苗が出ている。早くしよう」とばかり、さっそく種を買って蒔くという仕儀になるのだが、これが曲者だ。

園芸店に苗ものを卸す栽培業者はやはりプロだから、真夏の超暑い日を避けるための創意工夫が仕組んである。ハウスの中に寒冷紗や冷風を送るような機材が揃った上での早まきなのだ。

あの台風が過ぎて1か月後の9月の末の頃から、ようやく朝晩は20℃台の前半、昼間も30℃を下回る日が続いている。

ブロッコリーも葉ボタンも播種はあきらめ、昨日、近所の資材店の園芸コーナーでそれぞれ6株ずつ苗を買って来た。

今朝は少し雨模様だったが、まずはブロッコリーの苗を菜園の畝に植え付けた。
苗の高さは約20㎝、1か月半前に蒔いた種がうまく成長していれば、こんな大きさになっていたはずだ。

支柱は家の周囲に「ヒトツバ」(高野槙の一種)を植えた時に支えとしたイボ竹という資材の一部だ。20年経っているので半分に折れたりしているが、野菜の支柱にはちょうど良い。

しかしちょっとした台風ならやり過ごせるが、本格的なのが来たらアウトだ。来ないことを切に願う。

10号台風が来る直前に蒔いたダイコンも、通過後の猛暑でせっかく発芽しても葉に枯れジミが点々と現れる高温障害だったのだが、放っておいたら何とか持ち直して来た。やはりアブラナ科は冷え込みが成長を促すようだ。
今は虫食いとの戦いだが、間引きをしてみそ汁かサラダには使える状態にはなっている。

二列のうち左手のがおろしや煮物に使える「ダイコン用」なのだが、せいぜい成っても「チュウコン」か下手をすれば「ショウコン」だろう😓

ダイコンに関してはこれとはまた違った種類の種を買い、別の畝に蒔いたが、今度のは何とかなりそうだ。