田舎暮らし山裾の日々

信州に移り住み16年 山裾になじむ今日この頃 ECOな生活“循環型社会”を志し 昔と今の田舎の生き方を愉しむ

楽しい一日をすごした 

2008年10月10日 | 日記
10月10日(金) 濃霧 徐々に晴れて 青空が覗く 暖かな一日

目覚めると濃霧南の集落も東の里越しの浅間連山も何も見えない。
だいぶ時間が過ぎたように思ったころ東の窓を見ると天空には青空が広がっていた。
白い雲とのバランスが良く里はまだ霧に包まれているが浅間の連山も低い位置でボンヤリと姿を現してきた。
今朝もご機嫌な朝の情景を眺める。


庭に出てみるとこの秋最後のバラなのか、深紅の蕾が姿を見せた。
濃霧の置きみやげ小さな粒の水滴を幾つも葉に貯めている。
鮮やかな赤い色は元気をわけてくれるような気がする。


直ぐ脇のラベンダーの花柄には糸トンボが止まり俺を観察してるようだ。
同系色のグレーがかった色がシックでよい。
青空をバックにしてポーズをとっているように見えた。


午後からは『ふるさとプロジェクト』の巡検道を歩くことになっている。
先日コースを見極めながら歩いたコースを地図に落としておいた。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/09/fb0f6309a993b97974dd0c9393817021.jpg
今日の目的は見所と景観ポイントを決めて地図に記す内容を検討することになっている。
歩き出して直ぐに塩澤地区の諏訪神社を参拝するが、大きな欅がいつものように出迎えてくれた。


稲刈りを終えた田が多くハサ掛けをして乾燥している景色がよい。
コンバインで一揆に刈り取った田では稲藁を三角に立てて干してるのも風情がある。
刈り取りを終えた田を前景に町の南端に位置する蓼科山が見えた。
この山がきれいに見えるのは珍しく嬉しい限りだ。
明治以前に表記されていた立科山を町名に当てた立科町、今では蓼科高原が有名になり始め町に来る人は不思議がる。
町のHPでも名称の由来としてあえて説明しているので是非一読して貰いたい。
http://www.town.tateshina.nagano.jp/b01_gaiyou/m-kihon.html
町長のようなことをお願いしてしまったが、そう言う訳なのです。
この蓼科山の標高は2530mで中腹の女神湖は1530mだと言う。
云ってはいけないことだが、山はニゴウサン湖はイチゴウサンと云う人もいるとか??
嘗ては富士山のような大きな山だったが上部左側は噴火のときに吹き飛んだと本当のことのように云われてる。


一番とお言い処の手前では先日と同じように紫のアケビをたっぷりと口にして一休み。
約二時間の行程の最後のところで山から大きな獣でも出てきたのか不思議な足跡を発見した。
稲穂が潰されて大きな足跡が付いてる田があった。


巡検道ウォーキングなのに仲間の話す話題はゲスなことばかり・・・
一巡した出発点の塩澤農村公園に到着した。
地図を前に意見が続出したが早くも陽は西に傾き4時を過ぎてしまった。


4時半からの『立科町中山道ウォーキング』の“おもてなし部会”が役場で開かれる。
役員4名役場職員3名の仲間内の会議なので簡単に物事が決まっていくのが怖ろしい・・・
俺としては得意の分野“おもてなし”なのだから??
信濃毎日新聞に掲載された昼食を“和宮御膳”で接待する申込は74名が申込残るは6名のみとなったそうだ。
会議終了ご家に戻ったのが6時ジャスト 濃い一日だった。
コメント (12)
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