関東平野のほぼ北限は、田植えの季節。
でも、父曰く「後継者がいないから、休耕田になっちゃって」と
自宅から近い一角を指さして。
自宅の芝生には、捩花(ねじばな)が群生。
これまでは父が刈ってきれいにしていたのだけど
今年はもうこのまま、枯れるのを待つそう。
花言葉は、「思慕」。
夜から大雨になることは知っていたけれど
せっかく命日に帰省したのだから、と母のお墓へ。
私の足で、徒歩10分ほどの場所ですが、
圧迫骨折したばかりの父は行けず、
弟も今回は、仕事が多忙で帰ってこられず
私一人、花を供えに行きました。
フェイスブックの方にはすでに同じことを書いたのですが、
春先にひょいと母が夢に出てきて
何か言葉を交わすでもなく目が覚めてしまったのだけど
(病院へ行きなさい、ということかな)
実はその少し前から気になる症状があったものの
もう少し、もう少しとひきのばしていたのですが、
この夢に背中を押されるようにして、検査を受けることに。
結果、病的な所見はなかったのですが
安心できたのも、母のおかげかなと
墓前に報告と、ありがとうを言いました。
あの日も、菖蒲の花がきれいでした。
亡くなったのは平成15年。
一人で20年も…さびしいだろうかと思う一方、
(タイムリーに)夢に出てくるくらいだから、
きっと母は、お墓にはいないんだろうな、とも。
父がぽつりぽつりと、終活のことを口にしだして
もしもの際の連絡先は、とか、急な出費が必要になったら、といった
話の、おまけに付け足すように
「墓はもうあるしな」
2018年には
「俺が死んだら、宇宙に飛ばして」と
冗談交じりに、弟と私も交えきゃっきゃとやっていた父が
コロナを挟んだ5年の間に、すっかり衰えてしまい。
私は、自分が寂しいのか、
お寺ともめずにすみそうでほっとしているのか、
よくわからない、複雑な気持ちになりました。
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