染色家の佐藤節子先生に会いに行く。
何を着ようかなあ…。
やっぱり、今夏の真打ち「檸檬の上布」かなあ…。
先日いただいたコメントを拝読し、
アクアリウム帯と合わせてみよう!と思い立った。
帯揚げは、なかなか他に見ないビリジアンブルー(?)に白の飛び絞り、
帯締めは明るい玉子色で。
ここのところヘビロテだった
ツートーンの三分紐にモレッティのW使い。
そういえばアップ写真を載せていなかった。
↓
↓ こんな感じ
-帯や着物は後から後から欲しいものが出てくるのに、
小物となると「これ」と決まったもので満足してしまう-
みなさんには、こうした経験はありませんか?
私は不思議なもので、
帯や着物は、やれ季節だTPOだ質感だ、などと目移りしがちなのに、
バッグやショールなどの小物は気に入ったものがあるとずーっと使い続け
他に目が行かないことが多い。
その最たるものが「時計」だ。
着物だけではなく、洋服のときも含めて、
今のところ「稼動」しているのはこの一本のみ。
気張ったよそいき用に、ブランドものの時計も持ってはいるけれど、
メタルなので、着物のときにはまずつけない。
そもそも時計は袖口を傷めるもとになるから、
着物なら本来は、腕につけない方がいいのだろう。
でも私の場合は仕事で着ることも多いので、実用性を優先させてしまう。
この時計…実は母方の祖父が、私の大学入学祝いにと
プレゼントしてくれたもの。
だからもう、25年選手だ。
その間、一度も壊れず、一度もメンテナンスに出したことすらない。
電池やベルトは何度となく替えているけれど…。
時計職人だった祖父は、私が物心ついたころはもう第一線を退いていて、
私にとっては寡黙だが優しい「隠居のおじいちゃん」だった。
「いつまでも使える、飽きのこないものを」と選んでくれたこの時計は、
文字盤の大きさも好みで、見やすく、
今までに、飽きたなどとは一度たりとも思ったことがない。
でも当時は、嬉しかったことに偽りはないけれど、
ほかの多くの入学祝いの一つ、くらいの認識だったような気がする。
その3年後…。祖父が数年来患っていた病気で亡くなった、と聞いたとき、
私はドイツ・ケルン郊外の小さな町にいた。
1カ月ほどドイツをさすらっていたときだ。
葬儀には、親族一同、なかなか集まれない10数名の従兄達もみな
顔を合わせたのに、私だけお別れの場に行けなかった。
それから20数年のときが経ち、
今もこうして、私のオンリーワンになっている時計は、
(祖父のことや、若さにあふれた学生時代のことを忘れないで)と
ずっと語りかけているのだろうか。
ともかく、私にとってこの時計がなくなることは、あり得ないのだ。
「ライナスの毛布」とは、心理学の分野では
いつもそばにあることで安心するもの、を意味する言葉だそうで、
私とこの時計との関係は多少、違うようにも思うが、
ほかに目がいかない、いつでもマイベスト、という意味では、
私の「やすらぎのもと」になっているのだろう。
着物にしろ、それ以外にしろ、
変化の大きい時代に流され、興味関心が移り変わっていっても、
この時計を見ると「地に足のついた自分」に戻れる。
それこそが、祖父が私に贈ってくれた本当のプレゼントなのかも知れない。
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