さて、人間国宝 桐竹勘十郎さんのご講演
今回は絵本太功記より光秀の息子 十次郎と、いいなずけの初菊が
舞台上に。
今年は文楽という名前が世に出てちょうど150周年とのことで
それは大阪にできた文楽座と呼ばれる、人形浄瑠璃を上演する小屋の
名前が、今や人形浄瑠璃の代名詞と言うか別名にまでなったということ
なのですが、
「150年前というと、明治5年。この年はいろいろな改革があって
お坊さんがお肉を食べてもOKになったとか
太陰暦から太陽暦に代わったとか
町火消がなくなったとか…」と、勘十郎さん。
どうも、資生堂も150周年だとラジオで聞いたような。
(勘違いだったらすみません)
人形浄瑠璃自体はもっとずっと歴史が古いのですが
興隆の足掛かりになったのは、
竹本座が近松門左衛門を、ほぼ「おかかえ脚本家」にして
創作のサポートをしたことのよう。
「でも、近松門左衛門が生きているうちは
人形は3人遣いではなく、1人で遣っていたんです。
3人遣いになったのは1734年と伝えられていて、
近松が亡くなったのは1724年だったので…」と、勘十郎さん。
もし近松が生きているうちに3人遣いになっていたら、
また違った作品が生み出されていたかも知れませんね、との話に
会場、うなづいて。
そんな、人形にまつわる歴史のレクチャーの後は、
お人形の動きを人形なしで、「3人でこう動くんですよ」と
披露したり、頭だけもって、いろいろな表情をデモしてくれたり
今回もマニアック&とても面白い講演でした。
今、東京で文楽が上演されている国立劇場は
来冬から改築工事が始まり、7年かけて新しく生まれ変わるそう。
「7年後というと…勘十郎さんは70代後半かしら」
「それなら、まだまだ現役ね」
なんて、帰りにKKさんと話したりして。
公演は都内の劇場を回って再来年以降も続きますが
7年の間にもっともっと若手や中堅が伸びて、
文楽を盛り立てていって欲しいなあ、と、心から思います。
コメント一覧
最新の画像もっと見る
最近の「着物deオフタイム」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
2009年
2008年
人気記事