金沢の観光スポットレポート その944(No.1352)
◇金沢城公園 石垣巡り‐6
<城内外連絡ルート>
3)いもり坂と薪の新丸
いもり坂は、明治以後作られた通路で、江戸時代にはなかったもので。このあたりは玉泉院丸に面した斜面の一角で、庭園向きの石垣として整備されたところ。三十間長屋と同じく「切石積み」の一種で、野趣に富んだ意匠を狙った「金場取り残し積み」等が見られる。
・創建:寛永(1624~1644)頃
・改修:寛文(1661~1673)頃
■写真はいもり坂と薪の新丸(表面が平らでなく出っ張っている)
4)薪(たきぎ)の丸東側の石垣
この石垣は、鯉喉櫓台や二の丸北面と同じく、加工の進んだ石材を整然と積み上げた「粗化工石積み」の石垣で、寛文6年(1666) 、加賀藩の穴生(石垣普請職)後藤権兵衛によって改修されたことが記録にみえます。
・創建;寛永(1624~1644)頃
・改修:寛文6年(1666)
「薪の丸」の名は、三代藩主利常の正室珠姫が本丸に居住していたころ、薪を置いていた場所であったことからこの名がついたといわれている。
■写真は薪の丸東側の石垣
5)申酉櫓下石垣
ここでは時期の異なる「粗化工石積み」の石垣を見ることができます。向かって右側は自然面を残す割り石を積み上げた、慶長頃の石垣で、もとは石垣の角にあたる部分でした。
左側は加工の進んだ石材を用い、刻印が多く見られる石垣で、寛永頃新たに継ぎ足されたものです。石垣から城郭整備の過程がよくうかがえる貴重な事例です。(赤い線が境界線)
・創建:慶長(15984~1615)頃
・改修:寛永(1624~1644)
・現状:上部は明治時代に撤去、下部は概ね藩政期の姿を留める。
■写真は申酉櫓下石垣
撮影日:2018.7
(つづく)