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神田東紺町会

2007-05-13 11:31:16 | 平成19年 神田祭 神輿宮入
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 江戸時代、この界隈【かいわい】は、町人と武士の屋敷が混在している地域でした。このあたりにあったのは、神田紺屋町三丁目【かんだこんやちょうさんちょうめ】 、神田紺屋町一丁目代地、本銀町会所屋敷【ほんしろがねちょうかいしょやしき】 、神田佐柄木町【かんださえきちょう】代地、永富町二丁目【ながとみちょうにちょうめ】代地といった町々でした。

 明治2年(1869)、これらの町が合併して「東紺屋町【ひがしこんやちょう】」となりました。

 「紺屋」という町名は、江戸時代から明治時代にかけて、紺屋頭【こんやがしら】の拝領地【はいりょうち】であり、藍染【あいぞめ】職人が住んでいて、染物業【そめものぎょう】が盛んであったことに由来しています。

 昭和22年、神田区と麹町【こうじまち】区が合併して千代田区が成立すると、町名の頭に「神田」が付き、神田東紺屋町【かんだひがしこんやちょう】となりました。その後、昭和40年の住居表示の実施の際に、神田東紺屋町【かんだひがしこんやちょう】の一部は神田松枝町【かんだまつえだちょう】 、神田大和町【かんだやまとちょう】 、神田東松下町【かんだひがしまつしたちょう】の一部、神田元岩井町【かんだもといわいちょう】の一部と合併して、岩本町二丁目【いわもとちょうにちょうめ】となりました。

 当町会の該当区域は、東紺屋町【ひがしこんやちょう】及び岩本町二丁目1~4番地となっています。


当町会の神輿は浅子周慶【あさこ しゅうけい】により造られました。大きさは2尺と、町会と同じく、決して大きくはありませんが、神輿を取仕切る青年部と担ぎ手総勢300名が一体となり、宮入りでの勢いは他町会に決して引けをとりません。そして、なんといっても新調した青年部の ”帯【おび】”、五分田柄【ごぶたがら】東紺【とうこん】の”扇子”、首にかけた”掛け寄り”、そして頭に巻いた”東紺の手拭”、等に注目して御覧下さい。
我々、東紺町会の仲の良さは”神田一”です!



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