ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

松田屋ホテルの〝南州亭〟

2019年09月29日 | 俳句

 今日も山口は午後雨の予報でしたが、宇部では降らずじまいで、ちょっと蒸し暑い一日でした。何も予定はなく…こんな日は、家事をして新聞を隅から隅までゆっくり読んで、合間には好きな動画を見たり、溜まった本などを読んだりと、結構好きな時間です。

 働いていたときは、そんな時間が余りにもなくて…一日でいいから好きなだけ寝て、何もせずに家でゴロゴロとぐうたらに過ごしたいと思っていました。でも、仕事を辞めて家にばかりいるのも嫌で、時間講師で程ほどに働かせて貰って、空いた時間には今までやりたくてもできなかったことなど始めて、とても充実した時期でよかったのですが…。今度は俳句の方が忙しくなって追いまくられるようになり、だからこんなのんびりした日がとても貴重なんです。

 先日山口へ吟行に行った時に訪ねた湯田温泉の「松田屋ホテル」、その庭園に〝西郷・木戸・大久保会見所〟がありましたが、その小さな東屋(?)には〝南洲亭〟という名前が付いていました。南洲というのは西郷隆盛の号です。ここで会見した中で一番重要人物が西郷隆盛だったからこういう名が付けられたのでしょうが、よく手入れされていて昔のままに保存されています。

 その西郷さんの忌日が、この9月24日だったんですよ。歳時記にも「南洲忌」「西郷忌」「隆盛忌」として、秋の季語に掲載されています。先頃は大河ドラマでもありましたから、皆様よくご存じのことでしょうが、あれほどの維新の立て役者であったのに、最後は西南戦争に敗れ、1877年(明治10年)、鹿児島の城山で自刃をするという哀しい最期でしたね。その時西郷さんは満49歳でした。

  南洲忌老の出仕のはやばやと       竹内夏竹

  薩摩琵琶叩き馴らして南洲忌       岩切貞子

 西郷さんはとにかく大柄な人だったということは知っていましたが、調べると身長181㎝、体重109㎏もあったんですって。ある時、鹿児島の美術館に陳列してあった遺品の陸軍大将大礼服を、鹿児島に巡業に来た東西両横綱が試しに着てみたところ、少しだぶつく大形で、特に肩幅が広く、首も大きく、カラーも十九半形を用いていたということでした。ヘエッ!横綱よりも恰幅がよかったなんて…

 持病は〝肥満〟だそうで、その肥満を治そうと治療も受けていたということ。これもオドロキ!何だかおかしくなりました。あの豪傑の西郷さんが今でいう〝ダイエット〟に心を砕いていたのかと思うと…。日頃何もないときは体が重たいからかゴロゴロと横になっていることが多いのに、運動のために狩猟をする時などは非常に敏捷だったとか。また、酒は余り飲まなかったが、煙草には目がなかったんですって…そういえば、南洲亭の木のテーブルには昔ながらの〝煙草盆〟が置いてありましたね。ああ、この小さな東屋にあの大きな体を…きっと狭すぎたのではと思うのですが、ここで好きな煙管(きせる)に刻みたばこを詰めて火をつけ、それを吸いながら密談したんだろうなあ~と、そう思って眺めると、また一段と心に響いてくるものがありました。だって坂本龍馬の仲介で結ばれた薩長同盟の確認と具体的協議のため山口に来て、この宿に泊りこの南洲亭で会見したのが1867年(慶應3年)、隆盛39歳の時だったんですよ。その10年後には死ぬという運命になるなんて…誰にも想像できなかったことでしょう。また、その時に顔を合わせた木戸孝允も明治10年に満44歳で病没、大久保利通は次の明治11年に満47歳で暗殺されるという。本当に人生って分からないものですね。あの明治維新という激動の時だから、そりゃあ余りにも目まぐるしくてアッという間の10年だったでしょうが。そう考えると私のこれからの10年間なんてどうなることやら…いや5年先だってもう全く見えませんものね~。ああ、イヤダ、イヤダ、こんなこと考えないようにしているのに…ハイ、もう止めます。

 写真は、もう一度松田屋ホテルの〝南州亭〟です。よ~く見て下さい!

 

 

 


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