ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

兼題は〝稲雀〟

2019年10月02日 | 俳句

 昨日は俳句教室でした。兼題は〝稲雀〟で、秋の季語。稲が熟し穂を垂れると、その穂を啄みに雀が群れをなしてやってくる、それが稲雀です。その被害を少しでも食い止めようと、雀を追うための仕掛が「威銃(おどしづつ)」や「案山子(かがし)」「鳴子(なるこ)」などで、これらももちろん季語になっています。最近はこういうものをめったに見かけなくなりましたね。その代わりキラキラするテープや目玉の模様の風船やカラスの風船などを見かけますが、どれほど効果があるのでしょうか。

  稲雀ぐわらん〵〳と銅鑼が鳴る       村上鬼城 

 ※〈ぐわらんぐわらん〉の箇所の繰返しの記号が上手く出せません。

 鬼城は、1865年(慶応元年)鳥取藩士、小原平之進の長男として江戸小石川で生まれ、8歳の時、群馬県高崎市に移り住み、11歳の時に母方の村上家の養子となって、以後村上姓を名乗り、1938年(昭和13年)、74歳で亡くなります。本名は村上 荘太郎。

 幼少時代の夢は軍人になることで、その目的に向かって勉強に励み、明治17年(1884年)19歳の時に東京へ行き、軍人を志しました。しかし、耳疾のために断念して、明治法律学校(明治大学の前身)で法学を学びながら、司法代書人(司法書士の前身)となりました。

 鬼城の俳句は、自らも不遇な環境に置かれていたため、困窮した生活や人生の諦念、弱者や病気への苦しみなど、独特の倫理観で憐れみ、哀しみを詠った句が多いのが特色。また、本人も耳が不自由だったためか、身体障碍者に対する感情を詠ったものも多かったようです。また、座右の銘が「心眼」ならぬ「心耳」であったことから、今日では「心耳の詠み人」と呼ばれています。

 詳しいことは分かりませんが、19歳頃から耳が悪くなったようで、全く耳が聞えなかったのではなく難聴といわれていたようです。それが年と共に悪くなって、51歳の時にはその耳疾のために代書人も解雇されたりと、生活も苦しかったようです。

 上掲の句も、稲雀を追い払うための銅鑼の音を〈ぐわらんぐわらん〉と〝心耳〟で聞き留めたのでしょう。実際は聞えるか聞えないかのかすかな音だったのでしょうが、心で聞くと確かに雀を驚かす大きな音だったのです。それが、〝がらんがらん〟ではなく〝ぐわらんぐわらん〟となったに違いありません。また、そうやって追い払われる稲雀にも我が身を投影して同情しているのかも知れませんね。

 私も、1歳の時中耳炎を患って、以来ずっと両方の鼓膜がありません。60歳ぐらいまでは何ら不自由を感じることなく過ごせたんですが、年とともに急に聞えにくくなりました。正常な人でも老化で悪くなるようですから、私のはもともとが悪かったので聴力の衰えが早いのでしょうと言われました。今では98歳の義母の方がいいぐらいなので、耳のいい人がとても羨ましいんですが、仕方がありません。母が生きていたときは、〝すまないね~、子どもの時にしっかり治してあげてなかったから…〟と、いつも謝っていました。グスン…

 このように耳だけでなくあちらこちらが老化でダメになっていくのは、誰にでもあることだし、もっとヒドい病気の人などもいるのですから…贅沢はいえませんよね。前向きにガンバルしかないっちゃ!

 それよりも今日の午前中は、〝女性活躍推進セミナー〟の第1回「はじめての俳句!」講座だったんですよ。10時~11事30分までの1時間半、受講生は16人でした。まあ何とか無事に終って、〝おもしろかった〟とか〝勉強になった〟とか言って貰えて安心しました。うう~ん、こういうのはやっぱり肩が凝るものですね~。

 写真は、募集のチラシと始まる前の今日の会場です。 

  

 

 


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 〝九月尽〟とは? | トップ | 今日は〝蛇笏忌〟 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
はじめまして (ムベ)
2019-10-03 09:35:05
「ぐわらんぐわらん」という音が耳に残るようです。
心耳で聞き取って表現されいたので、新鮮に感じたのだと思います。
私の次男が聴覚障害者です。ブログの写真を担当してもらっています。
勤めの合間の、リフレッシュの時であれば良いと思っています。
彼の心耳が良いことを聴き取れるようにと、日々願っています。
返信する
Unknown (ちわき)
2019-10-03 16:56:23
ムベさん、はじめまして!
コメントありがとうございます。
この句、読むときはやっぱり「ぐわ」を同時に出して鼻濁音のように発声するのではないかと思っていますが、視覚的にも印象的ですよね。
ムベさんのブログ、分かりませんでしたが、次男さんが聴覚障害者とか…これは本当に耳が悪くて不自由な思いをしている人でないと、本当のところは理解出来ないでしょう。きっといいことを聞き取っておられるとおもいますよ。応援してあげて下さい。これからもよろしく!
返信する

コメントを投稿

俳句」カテゴリの最新記事