コメント
 
 
 
そういうことか (黒でんわ)
2014-10-23 07:45:20
高校1年生まで五右衛門風呂でした
しかし燃やすのはダンボール
30分ぐらいで湧いたかな~
火がメラメラと燃えているのを見ているが好きでした

今も昔も変わりませんね(笑)
 
 
 
Unknown (みっちゃん)
2014-10-23 07:45:54
たしかにそれはあると思います。
私も、子供の頃は薪で風呂を毎日焚いており、大晦日近くには餅つきのために母親やかまどでもち米をふかしたりしていました。
薪の炎には楽しい思い出があるんです。
その経験は大きいと思います。
 
 
 
同年代 (軽虎)
2014-10-23 11:24:02
おはようございます。

やはり皆さん同年代だけあって子供の頃の記憶が似てますね。
私も小学校に上がるまでは五衛門風呂の火焚き係で、雑木林で集めた枝や父親が割った薪を焼べた覚えがあります。
タケノコを茹でたり、赤飯や餅搗き用にもち米を蒸すのも竈で火を焚いて羽釜でしたね。
美味しいのも楽しいのも炎と一緒の思い出です。

薪焚亭さんが書いている離乳食のことですが、自分の子供達に所謂ベビーフードは食べさせたことがありません。
長女の出産前に通院していた産婦人科で食べさせて貰ったとき、凄く濃い味だったんです。
小さいときからあの味に慣れたら、素材の美味しさなんて感じることが出来なくなると思いました。
舌の記憶は生まれた時から残るのですから、手間を惜しんだり食べたがるものだけを与えてはダメですよね。
 
 
 
黒でんわさん (薪焚亭主人)
2014-10-23 14:52:16
高校1年生まで五右衛門風呂ですか、それはすごい。
商売柄、焚き物のダンボールが有り余ってたんでしょうねぇ~

ウチは借家住まいだった頃、薪風呂でした。
中一までだったので、もう40年も前(笑)
木の風呂桶です。

 
 
 
みっちゃん (薪焚亭主人)
2014-10-23 14:54:51
そうなんだよね。
焚き火って楽しい思い出がある。

子供の頃は焼き芋もよくやりました。

小学生の頃だと、両親の実家には囲炉裏もあってね。
楢薪のにおいが家に染み込んでた。
 
 
 
軽虎さん (薪焚亭主人)
2014-10-23 14:58:25
軽トラさんまで五右衛門風呂ですか、そりゃすごい。

そういや、
吾が家の薪風呂は途中で薪からオガライトになったなぁ~

アレはアレで便利だったけど、風情がないな(笑)

ウチの子供たちの離乳食はほとんど手作りだったかな。
専業主婦なんだから当然か!
 
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