心はともに
みなさま こんにちは
卒業シーズン、
桜もまもなくですね。
季節の変わり目、
解毒の季節、冬の間にたまったものを出して
芽吹いていきたい時です。
春は、木々がどんどん上に伸びていくように
人でも同じく、とくに、体の上の方に症状が出やすいです。
出せるものは、どんどん出したいところです。
苦みで毒だし、
酸味も大切。
先週のお野菜セットに、八朔がはいっていて
八朔って、酸味もありますが、ちょっと苦みがあります。
それなのに、
2歳の娘が、やたらと食べたがり、ちょっと食べると
苦くて、すっぱくて、ぺっと出すんですが、
それでも、不思議と、また食べようと粘るので
少し、メープルシロップをかけてあげたら、
もっともっととせがまれて、結局
1個まるまる、食べてしまいました。
苦みを欲する、子供の体は素直だな~と感心しました。
苦みも美味しく食べたいですね。
大人は塩味を使うと、美味しくいただけるかと思います。
新玉ねぎをスライスして、八朔を混ぜて、酢、しょうゆ、オイル=1:1:2 でサラダにしたり
人参を千切りにして、塩もみしてから、八朔を合わせて、
フレンチマスタード、酢、砂糖、オイル=1:2:1:3 くらいでも、美味しいです。
クリームチーズと八朔とルッコラのサンドイッチとかも美味しい予感、(これはまだやっていない)
****************
また、今回も!百人一首の話題。
全く知らなかったので、最近読んでいて、面白いと思ったのは、
技巧の一つに
「本歌取り」というのがあって、
有名な歌をベースにして、作るというのがあるようなのです。
それは、知識がないと出来ない ということでもあるようです。
それがですね、どの程度 その他の歌を入れるかなんですが
百人一首
来ぬ人を 松帆の浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ
(いくらまってもこないから、恋の熱で、もう藻塩になっちゃうぞ!みたいな意味
もう、表現が渋い!)
これも本歌どりをしていて、もとの歌は
~淡路島 松帆の浦に 朝なぎに 玉藻かりつつ 夕なぎに 藻塩やきつつ~
というものからなのだそうです。
この辺は、あ~、確かにちょっと使っているという感じなのですが
私の大好きな歌でもある 百人一首の
「風をいたみ 岩うつなみの おのれのみ くだけてものを 思ふころかな」
の本歌が・・・
「風吹けば 岩うつなみの おのれのみ 砕けてものを 思ふころかな」
って・・・、完コピといっても過言ではない・・
だけど、風をいたみ の方が、美しいわけで、そっちの方が”いいね!”
となるそうです。
ということは、昔は「パクる」ことは、悪いことではなかったのだと思いました。
いいから、それを取り込んで、より素敵なものに作り替えていく。
それが一つの技巧であった。
今は、人のアイデアを真似るのを嫌いますよね。
だけど、そのことに平安の時代は、もっと寛容であったのかなぁ。
そう思うと、昔のいいものを、もっともっと真似してもいいのではないかとも思いました。
平安の人々のことが、面白くて、最近はまってます。
今日はご飯はおやすみ。
最近、なかなか写真がとれず、すみません。
みなさま こんにちは
卒業シーズン、
桜もまもなくですね。
季節の変わり目、
解毒の季節、冬の間にたまったものを出して
芽吹いていきたい時です。
春は、木々がどんどん上に伸びていくように
人でも同じく、とくに、体の上の方に症状が出やすいです。
出せるものは、どんどん出したいところです。
苦みで毒だし、
酸味も大切。
先週のお野菜セットに、八朔がはいっていて
八朔って、酸味もありますが、ちょっと苦みがあります。
それなのに、
2歳の娘が、やたらと食べたがり、ちょっと食べると
苦くて、すっぱくて、ぺっと出すんですが、
それでも、不思議と、また食べようと粘るので
少し、メープルシロップをかけてあげたら、
もっともっととせがまれて、結局
1個まるまる、食べてしまいました。
苦みを欲する、子供の体は素直だな~と感心しました。
苦みも美味しく食べたいですね。
大人は塩味を使うと、美味しくいただけるかと思います。
新玉ねぎをスライスして、八朔を混ぜて、酢、しょうゆ、オイル=1:1:2 でサラダにしたり
人参を千切りにして、塩もみしてから、八朔を合わせて、
フレンチマスタード、酢、砂糖、オイル=1:2:1:3 くらいでも、美味しいです。
クリームチーズと八朔とルッコラのサンドイッチとかも美味しい予感、(これはまだやっていない)
****************
また、今回も!百人一首の話題。
全く知らなかったので、最近読んでいて、面白いと思ったのは、
技巧の一つに
「本歌取り」というのがあって、
有名な歌をベースにして、作るというのがあるようなのです。
それは、知識がないと出来ない ということでもあるようです。
それがですね、どの程度 その他の歌を入れるかなんですが
百人一首
来ぬ人を 松帆の浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ
(いくらまってもこないから、恋の熱で、もう藻塩になっちゃうぞ!みたいな意味
もう、表現が渋い!)
これも本歌どりをしていて、もとの歌は
~淡路島 松帆の浦に 朝なぎに 玉藻かりつつ 夕なぎに 藻塩やきつつ~
というものからなのだそうです。
この辺は、あ~、確かにちょっと使っているという感じなのですが
私の大好きな歌でもある 百人一首の
「風をいたみ 岩うつなみの おのれのみ くだけてものを 思ふころかな」
の本歌が・・・
「風吹けば 岩うつなみの おのれのみ 砕けてものを 思ふころかな」
って・・・、完コピといっても過言ではない・・
だけど、風をいたみ の方が、美しいわけで、そっちの方が”いいね!”
となるそうです。
ということは、昔は「パクる」ことは、悪いことではなかったのだと思いました。
いいから、それを取り込んで、より素敵なものに作り替えていく。
それが一つの技巧であった。
今は、人のアイデアを真似るのを嫌いますよね。
だけど、そのことに平安の時代は、もっと寛容であったのかなぁ。
そう思うと、昔のいいものを、もっともっと真似してもいいのではないかとも思いました。
平安の人々のことが、面白くて、最近はまってます。
今日はご飯はおやすみ。
最近、なかなか写真がとれず、すみません。