庭戸を出でずして(Nature seldom hurries)

日々の出来事や思いつきを書き連ねています。訳文は基本的に管理人の拙訳。好みの選択は記事カテゴリーからどうぞ。

膝の痛み

2014-01-11 09:35:00 | その他
整形外科は初めてだ。

二年ほど前から、カイトの最中に左膝に違和感を感じることがあった。軽い痛みが出たり出なかったりで、たぶん跳んだり跳ねたりが少し過ぎたのだろう・・・ 程度のことでほとんど気にしないでいた。ところがそのうち、普通に歩いていても十分ほどでちょっと辛いほどになってきた。これは放っておくわけにもいくまい。

・・・という訳で、家内の肩の痛みが一発の注射で完治したという「あい整形外科」へやってきた。家から自転車でも10分ぐらいのところだ。可愛いらしい名前だが、先生は男性。まあ、相当に優しい面持ちをしている。
 
ついでに寝返りの時にちょくちょく痛む肩の話をすると、あちこちの方向からレントゲンを撮って、肩には神経ブロック注射、首と肩に合計二本、膝の方はヒアルロン酸一本。ほとんど蚊がさした程度のものだ。

しばらくは週一ペースで通院することになりそうだが、これでうっとうしい膝の痛みから解放されるなら簡単なことだ。


新たなスタイル

2014-01-09 21:20:00 | 海と風
こんな寒い日はもう海に出るのは止めようと決めていた。


昨年の長く厳しい体調不良が、真冬の海で腹を冷やしたことに端を発していたということもある。

ところが、体調が回復するにつれて、また徐々に私の中の風の虫がうごめき始めた。ただ、本格的にカイトを初めてもう5年・・・この間、ずいぶん飛んだり跳ねたりを繰り返して、およそ自分のやりたいことはやったような気持ちに成り始めてもいた。私も今年で60歳の還暦を迎えることになる。そろそろもう少し落ち着いたスタイルを模索しても良い時期なのかもしれない。

いろいろと思いを巡らせながら、これまで試みてきた中で、最も楽で波のリズムも感じ取りやすいのが、サーフ・スタイルであることに思いが至った。大き目のサーフィンボードに小さい目のカイトを組み合わせれば、かなり面白いことになるに違いない。

そんなことを考えながら、WEBショップでサーフィンのミドル・ロングボードを眺めてみた。セミロングということになると思うが、今持っているSUPの半分の重量にも満たない8ft4inch板などもあった。
 

こんな感じの板なら、微風からかなりの風まで8平米辺りのコンパクトカイト一枚でゆったりとしたグルージングやちょっとした波乗りが楽しめるだろう。その為にはジャイブやタックをマスターする必要があるなぁ・・・などと思い付いたらジットしとれなくなるのは、どうしようもない私の性分だ。

そういう訳で・・・今日は昼からサーフィン用のショートボードを車に積み込んで塩屋に出かけてきた。潮加減は良いのに珍しく誰も来ていない。平均10mほどの北西寄りの強風では、ストラップなしのサーフボードは跳ね回って何も出来なかったので、いつものツインチップに乗り換えて1時間半ほど、本年の発乗りを済ませてきた。気温は10℃に満たないに関わらず、寒さを感じなかったのはお日様のおかげか、体が大きく復調してきた証にちがいない。ありがたいことだ。

K君

2014-01-07 09:22:00 | 海と風
年が改まったからもう一昨年の年末ということになる。ウィンド時代からの古い仲間であるK君がカイトを始めた。私が空の世界にいる間、サーフィンを楽しんでいたということで、堀江の海で久方ぶりに会ってからカイトの世界にも心が動いたらしい。

堀江や塩屋でセットアップやコントロールなど10回ほどの基礎練習が終了した頃に富山に転勤になった。富山の冬は雪国だから、スノーカイトなどのランド(陸上)カイトの方向に進むかな・・・と思っていたら、北陸地方には千里浜などという、とんでもなく素晴らしい海岸がある。一年会わないうちにちゃんと走れるようになっていた。





彼ももう50代半ばだ。しかし、風や波の世界に一度《ひとたび》漬《つ》かった人間は、簡単にはこの世界から離れることはできない。世界には60代70代で実に言い顔をしているフライヤーやサーファーたちが山ほどいる。私と同様、たぶん足腰立たなくなるまで、場合によっては足腰立たなくなっても、このどこまでも奥深い世界と縁が切れることはないだろう。まったくありがたいことである。

宇宙的体験 9

2014-01-06 12:45:00 | 訳稿:宇宙的体験
チベットには古くからじめじめした井戸の中で生涯を送ったカエルの話が伝わっている。

ある日、海からやって来たカエルが彼を訪ねた。
「君はどこから来たのかね?」古井戸のカエルは尋ねた。
「海からだよ」と彼は答えた。
「その海とやらはどれくらい大きいのかね?」
「とてつもなく巨大だよ」
「この井戸の四分の一ほどかね?」
「もっと大きいよ」
「もっと大きい?じゃあ半分くらいかね?」
「いやいやもっと大きいよ」
「それは・・・この井戸と同じくらいね?」
「全く比べ物にならない」
「そんなことがあるはずはない!私自身でそれを見てみなければ」
彼らは一緒に出かけた。古井戸のカエルが海を見たとき、あまりのショックに彼の頭は粉々に破裂してしまった。
 <\ギャル・リンャ`ェ著『チベットの生と死の書』

私が他の惑星や月や星々で冒険をしたという人たちにインタビューしたのは、彼らの体験を心理学的な関係性で探索するためだった。この調査をする上で、私の主要な興味は次のような疑問で表すことができる:他の惑星や月や恒星系での体験を報告した人たちは、その結果、彼らの人生上の重大な変化を語ることになるだろうか?

その答えは宇宙旅行の体験を持つ宇宙飛行士の報告と一致している。彼らは、恍惚感《エクスタシー》や結合感《コネクテッドネス》や歓喜を含む意識状況の信じがたい個人的変容を体験したことを認める。元宇宙飛行士のエドガー・ミッチェルは1998年に次のように述べている。

地球や宇宙をこのように、つまり大気の障害がないために星々が10倍も数多くまた明るく輝く完全な180度のパノラマを宇宙船の窓から見たとき、それはまさに壮大で圧涛Iなものだった・・・その時突然起こったのは心底からの認知であり・・・「私たちは何者か?私たちはどこから来てどこに行こうとしてるのか?など、科学的知識では明らかに不確かで不完全にしか答えられない太古からの疑問に、一挙に解答を与えてくれたのである。この統一《ユニティ》と結合性《コネクテッドネス》は恍惚的で歓喜にあふれた体験だった。地球に帰還した時、私は自分の人生が変化していることを知った。自分が体験したこと何だったかを知らなければならないことを知ったのである。

宇宙的体験 8

2014-01-05 11:24:00 | 訳稿:宇宙的体験
私はこの惑星(地球)上で生命が誕生したとも、私たちが宇宙の中で優れた存在だとも思わない・・・多くの教師がそう思わせようとしたけれども。

私たちが「宇宙の主《ぬし》」であり、どんなことも思い通りになると考えることはどんなに便利であるかちょっと考えてみて欲しい。しかし、これは地球上で、私たちと同じ種やその他の生き物たちを殺し続けているという、今日私たちが直面している問題の根源である。この惑星としての地球上でどのようにして生命は誕生したのだろうか?

科学者たちは地球は46億歳と言うが、宇宙はそれどころではなく、想像できないほどの古さと広大さを持っていて、無限の惑星や太陽(恒星)や月(衛星)を含んでいる。この惑星(地球)や、それよりはるかに古い惑星上には、目に見ることはできないにしてもあらゆる場所に生命が存在すると私は信じている。しかも、現実に何が起こっているかを知っているのは私だけだという訳ではないのだ。

私たちが何者であるか、私たち自身の歴史や宇宙での位置を知りたいという強い願望について、権威ある人々によって語られ続けているのは明らかである。しかしそれにもかかわらず、私自身の生命については私自身が専門家である。地球の向こうにある生命体を認めるということは、私たちの科学や宗教や信念の体系や世界観は適当なものでも受容されるものでもないことを認めるということである。それを見る準備ができている人々には、その過程はゆっくりと展開され進行していくだろう。

地球外生命体を認めたとき、私たち自身についての太古からの疑問や、大宇宙の最も深い意味合いで私たちが何者であるかに対する真の解答を得ることになるだろう。もし明日、地球外生命体が目の前に現れたら、ほとんどの人々の自己像は変化を遂げると、あなたは思わないだろうか?



ブログの統合

2014-01-05 08:49:00 | 海と風
このブログの最終日は2008年12月26日になっている。すでに5年が経過したわけだ。十年一昔というが、五年で半昔というとして、この間・・・やはり色々なことがあった。

まずは本格的に海に復帰したこと。10年のウィンドサーフィンと20年のパラグライダー・PPGがミックスされたようなスメ[ツ・・・カイト(サーフィン)の世界に、かなり熱心に取り組んだ歳月になった。(サーフィン)を括弧《かっこ》付きにしたのは、カイトの舞台は海上・水上を問わず、陸上、雪上、場合によっては空中でも楽しめる、極めて自由度の高いスメ[ツであり、私の関心は多岐にわたるからだ。

 

ブログについては、2年間ほどのブランクを置いて、2010年から他の「忍者ブログ・寛太郎のカイト日誌」というところで相変わらずの思いつき記事を綴ってきたが、これには製本機能がない。

このブログのカテゴリー「PPG入門」は、希望される奇特な方には製本して実費でお送りします・・・と記したら、過去何人かの方から申し込みがあったのだが、しばらくこのブログを離れている間、何故かメール通知機能が働かず、申し込みから1年以上経って返信したものの時すでに遅し・・・大変申し訳ない思いをしたことがある。

そこで今後、他の分野(カテゴリー)での製本化も考えて、製本機能の充実したライブドアのブログを新しく使うことにし、まずはエキスメ[ト機能を使って「忍者ブログ・寛太郎のカイト日誌」の記事を全て引越しさせた。

後はこのAutoPage「風にふかれて」のブログを一つずつコツコツとコピーして引越しを進めているのだが、月280円の有料版にすると、これもインメ[ト・エキスメ[トが簡単にできるらしい。

ということで、しばらく「ライブドア」と「オートページ」とを平行で使ってみようかと思いついたところである。

宇宙的体験 7

2014-01-02 11:23:00 | 訳稿:宇宙的体験
前書き

子どもの頃、私は聖書も聖書的「神」も信じなかった。両親はそれを望んだが、私は馴染むことができなかった。聖書は明らかに巨大な物語として、本棚のフィクションの位置に収まっていた。一つの物語がどうして万人の現実となることができるだろうか?私自身の物語と他の人々の物語はどうだろうか?

両親は私を神学校に送り、ある夏休みには僧侶と共に住まわせることさえした。いつの日か私がイエズス会に入って救済されることを望んで。私は懐疑論者でも無神論者でもなかったが、12歳まで道に迷っていた。当時、私は多くの人々が「神聖な領域」とみなすものを見たし感じてもいたのである。そして、聖書の創造神話は私が経験していたことと全く整合しなかった。

教会は生命が地球上で発生し、地球は宇宙の中心であり、地球外生命体など存在しないと伝道していた。私はというと、この世界のどんなものより進歩していると思われる、他の世界からの存在と交流していたのである。しかし、批判されることや社会からつまはじきにされることを恐れて、私はその事実を隠していた。

今や私は大人であり、他の人々が私をどう思うかあまり気にしなくなった。そして、幼い頃よりももっと世界に貢献できると思う。人類よりも高度に知性的で優れている知的生命体が存在せず、それらの生命形態が今日私たちと共にあると推定しない理由は絶対にない。教条的な宗教や科学が、私たちにが何ものであるかを如何に激しく信じさせようとしても、それに真に答えられるのは私たち自身だけである。

夕空の深淵を凝視すれば、その深淵が私たちを凝視する。そして、多くの人々が信じてきたほど、地球はそう古くも特別でもないということを私たちに思い起こさせる。実際、地球は永遠の宇宙に比べれば比較的新しい惑星である。私たちは、自分が何者であるかについて、もう教条的な宗教や科学に頼る必要はない。ただ、私たちが「全てのもの」の重要な一部であるということを時々思い出す必要があるだけである。私たちは皆繋がり合っている。この繋がり合いが、大宇宙の際限のない心や意識を利用する能力を提供してくれるのである。

教師たちは私に生命の存在しない宇宙を想定させようとしたが、私はそれを信じなかった。私はいつも宇宙には他の知的生命体がいるという生得的な感覚を保ち続けていた。仮にSETI(地球外知的生命体探査)が、私たちが本当に孤独な存在で、そう考えている人たちが存在し、「地球外知的生命体との接触なし」と結論しても、そんなことを想定するのは馬鹿げていると思っていた。私は、彼らが大多数の現実的考え方に迎合していると考えていたから、すでにこの分野に科学的業績が提供することを求めているものを支持しなかった。

また、私は無から宇宙が発生しただろうとするビックバン理論や、進化の理論そのものは支持するが、私たちが地球上で醸造された有機体のスープから進化したというダーウィンの進化論を信じなかった。もちろんETは宇宙のどこかで進化したのかもしれない。私は悪い生徒だろうか、それとも悪い先生を持った良い生徒だろうか?私の教師のほとんどは、良い報酬との引き換えに、大多数の現実、或いはそれがどのようなものでも、支配的な世界観を受け入れるよう説得されてきた。現状を支持すれば、多くの経済的見返りがあるのである。私の見方は異なっている。なぜなら私の経験が異なっているからである。そして、私は社会的容認やお金のために俗論を容認する方向に心が傾くことはないだろう。