横浜市泉区に住み始めて約32年経ているが、相鉄線いずみ中央駅前にある泉区区役所に行くたびに、気になっていた和泉川沿いの自然・歴史を散策してみた。
横浜の桜開花は17日だったが、散歩した折は、相鉄線いずみ中央駅前の「地蔵原の水辺」の桜開花はまだだった。満開の頃にもう一度来てみよう。
上記地図にあるように、「いずみ中央駅」から和泉川沿いに南下して、「地蔵原の水辺」➡「泉中央公園」➡「長福寺」➡「中之宮左馬神社」➡「宝心寺」➡「四ツ谷の石仏」➡「ゆめが丘駅」まで散歩してみた。1万歩弱だった。
泉中央公園の入口にある「門」空充秋(そらみつあき)作 昭和61年みなとみらい21彫刻展優秀賞
泉中央公園の丘から1段下がった箇所にある「泉小次郎馬洗いの池」。四季を通じて涸れることのない池だそうだ
この公園のある個所は、建歴3年(1213年)鎌倉幕府の第2代執権 北条義時を倒そうと計画し、それが事前に漏れ、逃亡した泉小次郎親衡の陣屋跡という言い伝えがあって、池は親衡が馬を洗ったところと言われ、「馬洗いの池」と呼ばれている。
長福寺(鎌倉円覚寺の末寺である臨済宗の寺):
馬洗いの池の底に沈んでいた小さな島には貞和三年(1347年)造立の五輪塔があり、池のほとりには数基の板碑もあった。これらの板碑は、公園開設の工事の時に発見された板碑とともに長福寺に保存されている。
板碑の中には、建武四年(1337年)二月、貞和二年(1346年)、延文六年(1361年)の銘が刻まれた南北朝時代のものもある。→こちらのサイト
中之宮左馬神社(→こちらのサイト)と境内の桜
宝心寺 : 右にある古木は樹齢390年のイトヒバ
本尊は阿弥陀仏で、元京都知恩院の末寺。泉小次郎の末孫が絶え、堂も大破してしまったのを、領主の旗本 松平勝左衛門昌吉が慶安四年(1652年)浄土宗として建立し、昌吉の法名「松雲院殿業蓮社定誉法心庵燈居士」から松雲院宝心寺となった と。松平家の代々の墓がある。
桜は開花し出だした程度だった。
四ツ谷の石仏:→こちらのサイト
宝篋印塔残欠(年代不明)、道祖神塔(明治 3 年・1870)、地蔵庚申塔(寛文 10 年・1670)、出羽三山供養塔(文化 2 年・1805)、石祠(年代不明)などが並べられている。
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