私が初めて韓国へ渡ったのは、日韓国交樹立(1965年6月22日)から間もない1973年で、日本の韓国に対する経済協力の一環の建設工事で、約2年半、Ulsanに滞在してました。
1961年の軍事クーデターでによって政権を掌握した朴正熙大統領の全盛の頃でした。しかし、まだ朝鮮戦争(1950年ー1953年)の影響を大きく残しておりました。
セマウル運動で農村の近代化を促進していたが、米の生産が不足しており、町の食堂で食べるご飯は麦入りで、にぎり寿司も麦入りでした。また、週2回(水・土)の昼ご飯は米・麦も禁止で雑穀・麺を食べねばなりませんでした。
北朝鮮の脅威を常に宣伝し、政府の悪口も、北朝鮮の肩を持つ発言も禁止でした。
また、外出禁止令が発動されており、夜の10時15分以降の外出は禁止でした。飲み屋(妓生ハウス)では、遅くとも10時には切り上げなくてならず、走って宿舎に戻ってました。
人権抑圧と民主化運動の弾圧で国民の反発を買ったが、この70年代に輸出の急激な伸びにより高度成長が実現し、「漢江の奇跡」とまで言われた。
経済成長は80年代まで続きました。88年にはオリンピックも開催されました。
ソウルの官庁街、 中央庁(旧総督府)、
国立博物館、南大門、
景福宮、ソウル駅
南山からみたソウル市内、工事中の南山タワー、
上記の写真はいずれも1973年当時のものです。中央庁は1986年に国立博物館になりましたが、日本統治時代の恥辱の遺物であり、景福宮の正面に建てられていたこともあり、その後取り壊されました。
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