段々と寒くなってきた。
今朝はなんだか電車の具合があっちもこっちも悪かったらしくて・・でも幸いkおばちゃんはまきこまれませんでっしたけど・・皆さんご苦労なさったようだった。
急にさむくなったからなのか、なにか憑き物でもついたのかですね。
今晩から一段と冷えるとの話。ああいやだなぁ。
○2014年10月6日(月)
Teplice テプリツェ観光を続けるkおばちゃんです。
まあ、別にこれといった目当てがあるようなないような・・感じです。
先ほどのモーツアルト像のあった広場というか公園はこの建物の後ろにありました。
教会Děkanský kostel svatého Jana Křtitele洗礼者聖ヨハネ教会とでもいうのでしょうかね。
そしてその右側の建物脇になんだかおもしろいものがありました。
何だろう??
どうもこのマークからすると・・温泉の源泉じゃないかとおもうんですけどね。
その向こうにちょっと綺麗になっている建物がありました。
建物の壁面についていたプレートにはベートーベンの文字が!
黄金の太陽と呼ばれたこの家にベートーヴェンは1812年に滞在していたとあります。
1812年・・ああ、あの年だ・・と思ったkおばちゃん。
1827年の彼の死後、発見された彼の手紙。それはラブレターと受け取れるものでした。但し宛名の具体名がない・・
その日付けは1812年7月
“不滅の恋人”(Immortal Beloved)は誰か・・という問題はいまだ謎とされていますが、ここテプリツェ滞在中にしたためられたということです。
以前ハンガリーで訪れたマルトンヴァーシャールMartonvásárの夏の館で知り合ったブルンスヴィック伯爵の娘のどちらか(テレーゼ・ブルンスヴィックか妹のヨゼフィーネ)と言う説が今まで定説だったようですが、アントニエ・ブレンターノといういう節も有力だとか。
映画にもなっているこの“不滅の恋人”(Immortal Beloved)への手紙を書いたのがここの館だったのかしらなんて思ったりしました。
ラブレターのファクシミリはここにあるもののようです。
場所は先ほどのスパホテルベートーヴェンの裏手にあたります。
現在はホテルではないようです。
丁度こんな感じの1角です。
並びの別の建物にもプレートがついていました。
こちらはJosef Dobrovskýヨーゼフドブロフスキー氏のもの。ボヘミア(チェコ)の 言語学者、歴史家だそうです。
で、その先の建物にもベートーヴェンの文字が。
こちらの年号は1811年。
ここによると、ベートーヴェンはテプリツェを数回訪問しているとか。で、1811年は昨日書いたあのゲーテとの散歩の年のようです。
この建物、現在はレストラン・・その名もベートーヴェンとなっているようです。
丁度お昼時なので・・ここで食事をすることに決めました。
白いクロスのかかったちゃんとしたレストランでした。
天井には音符というかオタマジャクシと行ったほうがピンときそうなオブジェが・・
きっちりとサラダから頂きました。
メインはこちら。グヤーシュ仕立てのクネードリキろいったころこだったかな。
最後はコーヒーとケーキを。
お支払はコンナ感じでした。
実は、チェコの現金をあまり持っていないkおばちゃん。前の残りでしのいでます。
で、カードが利用できたので安心しました。
さっきの音符のオブジェは他の部屋にもありました。
お支払を済ませて外にでたら。。また良い匂いにつられて。。こちらへ・・
温泉センベイのお店でした。
ゴーフルのようなものです。
こんなに食べていたんじゃ、kおばちゃんは不滅の恋人にはなれませんね。
今朝はなんだか電車の具合があっちもこっちも悪かったらしくて・・でも幸いkおばちゃんはまきこまれませんでっしたけど・・皆さんご苦労なさったようだった。
急にさむくなったからなのか、なにか憑き物でもついたのかですね。
今晩から一段と冷えるとの話。ああいやだなぁ。
○2014年10月6日(月)
Teplice テプリツェ観光を続けるkおばちゃんです。
まあ、別にこれといった目当てがあるようなないような・・感じです。
先ほどのモーツアルト像のあった広場というか公園はこの建物の後ろにありました。
教会Děkanský kostel svatého Jana Křtitele洗礼者聖ヨハネ教会とでもいうのでしょうかね。
そしてその右側の建物脇になんだかおもしろいものがありました。
何だろう??
どうもこのマークからすると・・温泉の源泉じゃないかとおもうんですけどね。
その向こうにちょっと綺麗になっている建物がありました。
建物の壁面についていたプレートにはベートーベンの文字が!
黄金の太陽と呼ばれたこの家にベートーヴェンは1812年に滞在していたとあります。
1812年・・ああ、あの年だ・・と思ったkおばちゃん。
1827年の彼の死後、発見された彼の手紙。それはラブレターと受け取れるものでした。但し宛名の具体名がない・・
その日付けは1812年7月
“不滅の恋人”(Immortal Beloved)は誰か・・という問題はいまだ謎とされていますが、ここテプリツェ滞在中にしたためられたということです。
以前ハンガリーで訪れたマルトンヴァーシャールMartonvásárの夏の館で知り合ったブルンスヴィック伯爵の娘のどちらか(テレーゼ・ブルンスヴィックか妹のヨゼフィーネ)と言う説が今まで定説だったようですが、アントニエ・ブレンターノといういう節も有力だとか。
映画にもなっているこの“不滅の恋人”(Immortal Beloved)への手紙を書いたのがここの館だったのかしらなんて思ったりしました。
ラブレターのファクシミリはここにあるもののようです。
場所は先ほどのスパホテルベートーヴェンの裏手にあたります。
現在はホテルではないようです。
丁度こんな感じの1角です。
並びの別の建物にもプレートがついていました。
こちらはJosef Dobrovskýヨーゼフドブロフスキー氏のもの。ボヘミア(チェコ)の 言語学者、歴史家だそうです。
で、その先の建物にもベートーヴェンの文字が。
こちらの年号は1811年。
ここによると、ベートーヴェンはテプリツェを数回訪問しているとか。で、1811年は昨日書いたあのゲーテとの散歩の年のようです。
この建物、現在はレストラン・・その名もベートーヴェンとなっているようです。
丁度お昼時なので・・ここで食事をすることに決めました。
白いクロスのかかったちゃんとしたレストランでした。
天井には音符というかオタマジャクシと行ったほうがピンときそうなオブジェが・・
きっちりとサラダから頂きました。
メインはこちら。グヤーシュ仕立てのクネードリキろいったころこだったかな。
最後はコーヒーとケーキを。
お支払はコンナ感じでした。
実は、チェコの現金をあまり持っていないkおばちゃん。前の残りでしのいでます。
で、カードが利用できたので安心しました。
さっきの音符のオブジェは他の部屋にもありました。
お支払を済ませて外にでたら。。また良い匂いにつられて。。こちらへ・・
温泉センベイのお店でした。
ゴーフルのようなものです。
こんなに食べていたんじゃ、kおばちゃんは不滅の恋人にはなれませんね。
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