武内宿禰は景行天皇から仁徳天皇までの5代の天皇に仕えたといいます。
300年生きたというのは非現実的であり、実際は数人が継いでいる「武内宿禰職」だったのでしょう。
武内宿禰が数人いたならば、景行天皇に仕えた武内宿禰と神功皇后に仕えた武内宿禰が全く別の考えを持っていてもおかしくありません。
私はこの頃の天皇は連合国家ヤマトの「連合の盟主」だったと考えています。
景行天皇に仕えた武内宿禰は、日高見国を討ち取るように進言しています。
この武内宿禰は天皇が強い政治力をもつことを良しとし、専制君主たる天皇を目指していたと推測します。
天皇の専制君主制に反発したのが、九州や出雲や東海などであり、天皇やヤマトタケルはそれらのクニグニを諌めて回ったのではないでしょうか。
一方、神功皇后の側に仕えた武内宿禰は、その流れに危機を感じ、天皇は力を持ち過ぎなくてよい、連合の盟主たるべきだと考えたのではないでしょうか。
大分県の古要神社や福岡県の八幡古表神社などの神相撲では、住吉神が大活躍をします。
神相撲では最初は東西が交互に勝ち、やがて西方が連敗します。しかし最後に西方の小兵、住吉神が東方を次々と破っていくというストーリーになっています。
これは本当は負けてしまった住吉神を、神事では勝たせることで慰撫し祟らせないためだとの説があります。
しかし、住吉神は本当に勝ったのではないでしょうか。
専制君主を目指すヤマトから自治権を奪われぬよう抵抗していた九州。
旗色が悪くなっていく一方だったところ、神功皇后と共に武内宿禰が登場した。
この武内宿禰は「連合の盟主たる天皇」を良しとし、クニグニを強く縛らず、自治権を認める思考の人であった。
九州と通じあった神功皇后と武内宿禰は、専制君主を目指す仲哀天皇を殺し、九州の自治を約束した。
住吉神と武内宿禰は同一視させています。
私もずっと住吉神を慰撫するための神相撲だと思ってきました。
しかし、九州側と同じ意向の武内宿禰が現れて、東方にやられていた西方が実質的な勝ちを取った、これが神相撲のストーリーではないかと思う今日この頃です。
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