碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
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大泉洋主演「終りに見た街」が描いた、現実的な「苦み」

2024年09月25日 | 「日刊ゲンダイ」連載中の番組時評

 

 

戦争は過去のものではない

という現実的な「苦み」

大泉洋主演

「終りに見た街」

(テレビ朝日系)

 

先週末、テレビ朝日の開局65周年記念ドラマ「終りに見た街」が放送された。

原作は山田太一の小説。1982年と2005年にドラマ化されている。今回の脚本はクドカンこと宮藤官九郎だ。

田宮太一(大泉洋)は売れっ子とは言えない脚本家。妻(吉田羊)、高校生の娘(當真あみ)、小学生の息子(今泉雄土哉)と暮らしていたが、突然、戦時中の昭和19年にタイムスリップしてしまう。

そこは社会の空気も人々の気持ちも、現代とは違い過ぎる日本だ。太一たちは周囲に悟られないよう適度に溶け込みながら、終戦を待とうとする。

戦時下の「現在」で生きること。東京大空襲や敗戦という「未来」を知っていること。太一の葛藤は深まる。

だが、それ以上の苦悩は、子どもたちがこの時代に飲み込まれていったことだ。娘は「お国のために死んだ人を笑うの?」と怒り、息子は「僕だって戦いたい!」と叫ぶ。

「正気を失っている」と太一は驚くが、普通の人たちが「正気を失う」のが戦争なのだという事実に見る側も慄然とする。

そして、衝撃のラスト。現代に戻った太一を襲う悲劇は原作の通りだが、起きていることを理解する時間がないため、どこか置き去りにされた感じは否めない。

しかし、山田太一とクドカンが伝えようとしたのは、戦争は過去のものではないという現実的な「苦み」だったことは確かだ。

(日刊ゲンダイ「TV見るべきものは!!」2024.09.24)

 


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