<Media NOW!>
ドラマ「不適切にもほどがある!」
クドカン脚本、批判にユーモア
冬の連続ドラマは油断できない。予期せぬ快作が飛び出してくるからだ。昨年の同じ時期には「ブラッシュアップライフ」(日本テレビ系)があった。
そして今年は「不適切にもほどがある!」(TBS系)である。今期という枠を超えて、「今年のドラマ」全体の大収穫になりそうな予感がする。
1986(昭和61)年、主人公の小川市郎(阿部サダヲ)は中学校の体育教師をしていた。ところが突然、2024(令和6)年の現在へとタイムスリップしてしまう。
市郎は未来の日本で遭遇するヒト・モノ・コトに驚きながらも、拭えない違和感に対しては「なんで?」と問いかける。
たとえば、会社員の秋津真彦(磯村勇斗)がパワハラの聞き取りを受けているところに遭遇する。彼は部下の女性への言動が問題視されていた。「期待しているから頑張って」をパワハラと感じたという女性は会社を休んだままだ。
聞いていた市郎が思わず間に入る。「頑張れって言われて会社を休んじゃう部下が同情されて、頑張れって言った彼が責められるって、なんか間違ってないかい?」
また、セクハラなどコンプライアンス順守に苦労するテレビ局に対し、市郎は「女性はみんな自分の娘だと思えばいいんじゃないかな?」と提案する。
規制や規則で縛るのではなく、自分の娘に言えないようなことは言わない。自分の娘にできないようなことはしない。それでいいじゃないか、と。
クドカンこと宮藤官九郎の脚本が見事なのは、異議申し立てではなく、やんわりと疑問符を投げつけていることだ。コンプラ社会をストレートに批判するのではなく、笑いながら批評する内容になっている。
心の中では、うっとうしいとか、行きすぎじゃないかと思っていても、下手なことを言えばたたかれ、炎上する。多くの人が身を縮めている中、「ちょっと待って。話し合っていこうよ」という市郎の発想が刺激的なのだ。
クドカンドラマの真骨頂は人物設定とセリフにある。「こんなヤツ、いるか? いや、いるかもしれない。いたらいいな」という愛すべきキャラクターの登場人物たち。
セリフには「その言葉がここで出るか!」というインパクトがある。誰もが心の中で思っていたり、忘れていたりしているが、本心では聞きたかった言葉だ。しかもその背後にはクドカン独特のユーモアセンスが光っている。
どこか閉塞(へいそく)感が拭いきれない時代や社会に、小さいけれど痛快な風穴を開けるのもドラマというフィクションの力だ。
(毎日新聞 2024.03.23夕刊)