放送40周年
「ふぞろいの林檎たち」
実は2時間スペシャルの続編
「パートV」が計画されていた
サザンオールスターズの「いとしのエリー」を聴くと、ドラマ「ふぞろいの林檎たち」のオープニングが頭に浮かぶという50代以上の人も少なくないのではないか。
初回放送から40年を経て、山田太一氏による幻の未発表シナリオが見つかった。メディア文化評論家の碓井広義氏が、放送されたパートIVまでを振り返りつつ、幻となった続編を読み解く。
1983年5月27日(金)の夜、テレビからサザンオールスターズが歌う「気分しだいで責めないで」が流れてきた。連続ドラマ「ふぞろいの林檎たち」(TBS系)第1話の始まりだった。
いやいや、新宿の高層ビル群をバックに、真っ赤なりんごがスローモーションで投げ上げられる映像に重なる曲は「いとしのエリー」ではないか、と言いたい人は多いはずだ。しかし、「いとしのエリー」が使われたのは第2話からだったのだ。
全10話の物語は7月29日に幕を閉じたが、最終的には97年のパートIVまで制作された。
そして今年の秋、書店に並んだのが、脚本家・山田太一の新刊だ。山田太一:著、頭木弘樹:編集・解説「山田太一未発表シナリオ集~ふぞろいの林檎たちV/男たちの旅路〈オートバイ〉」(国書刊行会)である。
「男たちの旅路」(NHK)も「ふぞろい」と同様、山田の代表作だ。「未発表」ということは、どちらも制作されなかったシナリオということになる。「ふぞろい」に続編計画があったこと、シナリオが完成していたこと、しかも制作されなかったことに驚いた。
このパートVの内容を紹介する前に、それまでの流れを振り返ってみたい。
パートI(83年5~7月)全10話
仲手川良雄(中井貴一)は、「四流」と揶揄される大学の学生だ。ある日、一流大学医学部のパーティーに紛れ込む。しかし、部外者であることが発覚し、「学校どこ?」と冷笑されてしまう。
良雄は同じ大学の友人、岩田健一(時任三郎)と西寺実(柳沢慎吾)と共に「ワンゲル愛好会」を作る。目的は外部の女子大生に接触することだった。
有名女子大の水野陽子(手塚理美)、宮本晴江(石原真理子)、谷本綾子(中島唱子)が加入するが、本当の女子大生は綾子だけ。陽子と晴江は看護学校の学生であることを隠していた。自分たちが女子大生より低く扱われることへの反発だ。
女性経験がないことを気にする良雄は、個室マッサージ店に入る。そこで再会したのが、医学部のパーティーにいた伊吹夏恵(高橋ひとみ)だ。良雄は夏恵の自宅に呼ばれ、彼女が東大卒の本田修一(国広富之)と同棲していることを知る。
やがて就職活動が始まった。それまで「一流」に反発してきた健一だが、自分が一流会社に入れそうになると意識が変わっていく。しかし、その夢もすぐに崩れ去る。
ラーメン屋の息子である実は、綾子がくれる小遣いを目当てにつき合い始める。だが、彼女は裕福な家の娘ではなく、アルバイトで金を工面していた。そのことを知った実は、綾子の良さを認め始める。
良雄の実家は酒店だ。兄の耕一(小林薫)が跡を継いでいたが、妻の幸子(根岸季衣)は病弱で子どもが産めないでいた。母の愛子(佐々木すみ江)は耕一に離婚を促す。苦しんだ幸子は家出するが、耕一は「幸子じゃなきゃ嫌なんだ!」と宣言。その場にいた良雄たちは感動する。
再び就活に挑む「林檎」たち。会社訪問をすれば学歴差別は当たり前で、大学によって控え室も違った。しかし、健一が言う。「胸、張ってろ。問題は、生き方よ」と――。
このドラマが秀逸だったのは、「劣等感を抱いて生きる若者たち」を正面から描いていたことだ。四流大学の男子大学生、看護学校の女子学生、太っていることでモテない女子大生など、いずれも学歴や容貌に不安や不満を感じて苦しむ若者たちだった。
彼らは今でいうところの「負け組」に分類され、浮上することもなかなか許されない。何より、本人たちが自分の価値を見つけられず、自ら卑下している姿が痛々しかった。
放送された80年代前半、世の中はバブルへと向かう好景気にあった。誰もが簡単に豊かになれそうなムードに満ちていた。
しかし、「ふぞろい」な若者たちにとって、欲望は刺激されても現実は決して甘いものではない。その「苦さ」ときちんと向き合ったのが、このドラマだった。
パートII(85年3~6月放送)全13話
パートIの放送から2年後。良雄は運送会社に就職している。健一と実は同じ工作機械メーカーの営業代理店の社員だ。
綾子はまだ学生だが、陽子と晴江は看護師になっていた。修一は夏恵が受注してくるプログラミングの仕事を自宅で行っている。
健一と陽子はつき合っているが、価値観の違いが目立つようになった。良雄と晴江は、まだ恋人関係とはいえない状態だ。そして実と綾子の交際は続いている。
健一に引き抜きの話があり、「二人でもっといいとこへのし上がるんだ」と実を誘うが、「その先に何があるんだ?」と反発される。結局、健一は会社を移り、実は残った。
自分が看護師に向かないと感じていた晴江は、青山のクラブなどの水商売の世界に入っていく。
パートIII(91年1~3月放送)全11話
パートIIから6年後。晴江が自殺未遂を起こし、みんが集まってくる。彼らも20代の終わりになっており、結婚した実と綾子には子供もいる。
健一も結婚したが、相手は陽子ではない。陽子は独身のまま看護師を続けている。修一と夏恵の本田夫妻は妊活中だ。良雄は運送会社という仕事場は変わらないが、実家を出て一人暮らしをしている。
晴江は結婚相手である富豪の門脇(柄本明)の屋敷に軟禁され、離婚も許されない。
良雄は晴江から「愛してる」と言われ、気持ちが揺れる。仲間たちも彼女を救おうとするが、そう簡単にはいかなかった。
実は大学時代に自分をいじめていた佐竹(水上功治)の会社に移るが、彼に利用されたことに気づく。良雄は仕事の失敗もあり、つい実の妻・綾子と関係をもってしまう。
陽子は弘前に新設予定の病院に引き抜かれるが、結局、その病院は開業されなかった。
そして晴江は「一人で働いて、ちゃんと生きてみなくちゃ、あなたの恋人にだってなれやしない」と良雄に言い残し、ひとりで旅立っていく。
パートIV(97年4~7月放送)全13話
前シリーズから再び6年が過ぎて、良雄をはじめとする「林檎」たちは30代半ばとなった。
良雄の兄・耕一は病死しており、愛子と幸子と耕一夫妻の娘・紀子で酒店を営んでいる。ラーメン屋を継いだ実と綾子には子供が2人。本田夫婦にも子供ができた。
離婚して独身の健一は、ライバル会社の相崎江里(洞口依子)から言い寄られている。陽子は余命の長くない患者と恋愛中。晴江は独身のままアメリカに滞在している。
このパートIVでは、山形から東京に出てきた青年、桐生克彦(長瀬智也)を軸とした事件が起き、それに巻き込まれた良雄が行方不明になったりする。
やがて良雄は相崎江里と婚約。良雄の母・愛子は不治の病となり、陽子が働く病院にホスピスの患者として入る。帰国した晴江は、日本で看護師の仕事に就く。
幻の続編「パートV」
パートVがこれまでと違うのは、全10話といった連続ドラマではなく、前篇と後篇になっていることだ。2時間スペシャルが2本だと思えばいい。
シナリオには細かな設定は書かれてはいないが、パートIVから7年後と思われ、「林檎」たちは40代を迎えている。
物語は良雄が参加した「婚活パーティー」で陽子と再会するところから始まる。良雄は独身で、運送会社勤務も以前と同じだ。2人は晴江が仲居の仕事をしている日本料理店に行く。
離婚後、独身のままの健一は、アジアモーターズの営業部に勤務。中古コイルをめぐる会社の「不正問題」に悩んでいる。
実と綾子のラーメン屋は自営からフランチャイズ所属へと変わった。だが、最近の実は「時々会って話すだけ」の広川由紀という女性に夢中だ。
健一の行方がわからなくなる。心配して連絡を取り合う良雄たち。当の健一が現れたのは、晴江のところだった。「私に、なに言ってもらいたい? どういうこと求めてる?」と晴江。それは健一にもはっきりしなかった……。
パートVで際立っているのは、40代の彼らが抱える強い焦燥感だ。
シナリオには良雄が自分の気持ちを独白する言葉が並んでいる。
「毎日あれこれあるが、心をゆさぶられるようなことは少ない」
「このあたりで何かしないと、人生ここ止まりじゃないのか。このままでいいのか」
「もう少し別の人生を求めなくてもいいのか。別の人生、別の幸福」
実もまた、
「それぞれ毎日、することはしなきゃならない、金の心配もしなきゃならない、子供もほっとくわけにいかない」
「体もねえ、そろそろ気をつけなきゃならない、ほんとに、これが生きてるってことか、これで、あとは齢をとる一方か」
それでも健一は、修一に向かってこんなことを言う。
「俺はね、さからいますよ。しゃかりきに働いて来て、このままですますもんか、と思ってますよ」
やがて良雄は、ずっと胸の奥に抑え込んできた義姉・幸子への思いを現実のものにしようと動き出す。抱える事情はそれぞれだが、一人一人が自問自答しながら明日を探しているのだ。
この未発表シナリオが書かれてから約20年が経過している。「林檎」たちは60代に差しかかっているはずだ。
彼らは今という時代を、どんなふうに生きているのだろう。20代、30代、さらに40代の自分と60代の自分には、どんな違いがあるのか。そして、「ふぞろい」であることは彼らの人生にとって何だったのか。
制作されなかったパートVを飛び越しても構わない。令和篇のパートVIを見てみたくなった。
(デイリー新潮 2023.11.29)
************
デイリー新潮に寄稿した
この記事がアップされた
11月29日に、
山田太一さんが
亡くなったことが
報じられました。
脚本家・山田太一。
1934年6月6日―2023年11月29日。
享年89。
合掌。