メーター類をみるとジーンとくる。オイルプレッシャーメーター、さらに小癪にもアンメーターまで付いている。しっかりしたメーターだ。機械式時計の針のように気品がある。この品位というものを自らの感性で感じとることのできない者は買うなと言っているようだ。
10年ぐらい走ったあと譲り受けたヨタハチがあった。一年ぐらいで致命的な故障をしてもう僕の手には負えなくなった。修理業者に出すのはなぜか嫌だった。最後まで愛情注いで、走れ走れと思いながら修理をしたかった。トヨタにもあまり部品のストックはなかった。
しかし乗りたかった車だ。今のクルマのように紙でできたようなドアの音はしない。鉄だ。狂ったようにあちこち吸音シートを張り付けて静かさを演出しているニセ車と違う。運転というものはエンジンの音を聞きながらするものだというポリシーに満ちている。
こういうクルマがあると必然的にカーライフというものが成立する。若者は彼女をセルシオの横には乗せてはいかんのだ。ヨタハチに乗って肩を寄せ合うんだ。分からんのかトヨタ。
デートの前日というのはワックスをかけたりするんじゃない。そんなことはメカ音痴のノータリンのすることだ。アイドルアジャスト、フュエルアジャスト、エアアジャスト、グリスアップ、プラグ、ポイントやることは山とあった。何がワックスだ、めめしい。だいいち頭を使わんじゃないか。クルマが趣味とか言うな。
そもそも4リットルごとオイルを買うやつはバカにされていた。30リットルのオイル缶をバールで開けると何か自分も一人前のメカニックになった気がしてそれに酔っていた。
遠い昔の話でいまに望むべくもない。僕だけが時代についていけなくて、いまだにプラスチック拒否症だ。
当時の友人でヨタハチをほめるやつはもういない。レクサスやセルシオに乗るいいおじさん達になった。
悲しいな。いつクルマ好きをやめたんだい。ダムサイトを夜中に飛ばしたじゃないか。力を合わせてクラッチ板を変えたじゃないか。
みんなクルマ好きだった。クルマ好きはみんなんトヨタが好きだった。
トヨタよ、変なクルマをモーターショウに出すなよ。クルマはもっと知性的で暴力的で繊細な生き物だ。今日近所のショウルームでヨタハチを見た。その時の写真。