か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

ファンを減らすいけない日々の告白   2

2013年09月08日 | 受験・学校

たった人口5万の都市に風呂屋が5軒、映画館も5軒あった。今はもう風呂屋は1軒、映画館はない。その5軒あった風呂屋にいたずらをするのが楽しみだった。

女湯のすりガラスの窓の角が、小さく一辺が5サンチ程度三角形に欠けていた。窓の位置が高かったので小学生の僕は覗くこともできず、きっと窓の向こうには、おとぎの楽園があるに違いないと想像するばかりであった。

あるとき金もないくせにどこで仕入れたか、水鉄砲を持ってきた奴がいる。その三角形の隙間から水鉄砲を撃ちまくった。

「なんばしょっとか。」(女性)という怒りの声と共にお湯をかけられた。だが、窓があるのでその小さなガラスの割れた隙間を通してくる若干のお湯は、かかる量がわずかだ。

あるときそんなことを繰り返していると、窓がガラッと空いた。僕は今まであれ以上の醜悪な生き物を見たことがない。へその位置まで肉塊を下げて怒りまくる婆。両方の乳はぶらぶらするより結んでいたほうがよい。縦ジワのよった乳とその先のどす黒い乳玉。動くだけに余計に醜悪だ。もちろんトラウマになった。僕の夢を壊した責任を取ってほしい。

時々おっぱいパブでフラッシュバックする。

でも子供が遊ぶにはパラダイスの町だった。表の道に出なくても塀の間や床下を通り隣に行くことができた。どこにも水路があり筏を自作して遊んだ。年に2,3人は水死した。だからなんだ。楽しみもなく60になって自殺して何の意味がある。

中学はバイクの世界だった。高校生が怖かったので50しか乗らなかったが、やはり多くの友人は、死んだ。高校になりCBに狂ったころはもっと多くの友人が死んだ。

しかし、高校は決してバイクを禁止しようとしなかった。きちんと乗らないのが悪いのであってバカが死ぬのに高校の知ったことではない。

僕はちゃんとした考えと思うのだが当時は、ヒステリーがバイク自体を敵視した。今やっとその考えは修正されきちんと訓練させ乗ることを許可しようという方向が出てきた。

大きいバイクはそのぶん面白いがいきなり乗るのは無理だ。50から125から400から1000と進まないといけない。いきなり1000に乗ったやつはいつまでたっても上達しない。

学校のくせにバイクのことを何も知らず、「命を守ろう」とかとって付けた理由を持ち出すのは、言葉に裏がある。官僚の中でも一番あほ官僚の思い付きに全国が右ならえをした。

今そのバカ官僚が死に、状況が変わりつつある。よいことだ。


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