毎回固い話ばかりもなんだから、今回はやわらかく。
ある親戚がぼくにやや遅れてに高校の先生になった。ぼくは天地神明に誓って自分のためにインチキ採用を狙ったことはないが、この親戚野郎のために僕は一肌脱いだ。
僕が一番嫌っているコネ採用。身内だからちょっと自分のスタイルではないけれどやってしまった。教員になろうとした場合、実力でなることは福岡県ではほとんど不可能だ。佐賀県では全く不可能だ。
逆に教員が不足する県では教員免許を持たずとも採用された。「あとから研修」を受けるとバカにも免許が来た。
彼は生涯ぼくにコンプレックスを持っていて、何かとぼくに自己の優位性を示したがった。ぼくに変な質問をして、ぼくが「知らない」と答えると鬼の首を取ったかのように喜んだ。ぼくにむかって、「勉強してください」といった。
ぼくの力で彼は教員にならせてもらったことが、彼の頭の中にいつも回っていたようだ。それは誤解だ。ぼくにそんな力なんてないし持ちたくもない。親戚のある人の一番弟子が事務次官をしていただけだ。
人が何かにコンプレックスを持っているとき、個々の事象は人それぞれ異なってもその心理状態や思考回路は同じだと思う。
見苦しいのに空威張りをする。すぐメッキが剥げて赤恥をかく。それを隠そうとまた能力のあるふりをする。
ま、いいや。もう死んだから。ある年、健康診断を受けていなかった。まさにその時癌は進行し、半年後に休職し一年後に死んだ。最後までカッコつけて、「仕事がいそがしく健康診断に・・・」と。
いま反省する。どんなに上等の職業だとされていても実力のない奴を無理に先生にならせてはいかんな。つねに片意地を張るしかない彼の人生は、30年で終わった。
コネ採用をしなかったら、せいぜい🏫事務員程度で楽しく、ひょっとして今も生きていたかもしれない。自分が同志社大学出身であるというコンプレックスと対抗心の虚勢に溺れて死んだ。
今思う。人助けはほんとうにしてはならぬことだ。その人の向上心を奪い、劣等感の海でおぼれ死にさせる。
オウム真理教の浅原彰晃が言った。
「私の解脱を最後まで妨げていたものは、私が東大出身ではなかったことだ」、と。正直だ。大学に行こうとする若者のすべてが抱くのがこのコンプレックスだ。
「グダグダ何を言うか、そんなに不満だったらお前自身東大に通ってから言えよ」
こういわれると堪える。
大学は偏差値で序列化している。100校が横ではなく縦に並んでいる。階段の上は雲に隠れているが時折東大の段が見える。
レベルが違いすぎると劣等感もなくなるか。でも自分がいるすぐ上の大学に劣等感、下に優越感をもっている。社会に出ても階段ばかりだ。
しかし気がつくべきことはこの階段は人工のものであるということ。ハーバードに行けずエールに行ったことへの劣等感に共感する日本人はあまりいない。同様に修猷館に行けず近所の私立に行ったことは、同じく根拠のない劣等感を作る。人工だから普遍性は当然ない。
結論
人が作り出したものに人が苦しめられてはいけないのだ。
今まで生きてみて、この支配者に都合のいい差別構造は、必ず克服すべきものだとわかってきた。
全員が東大にはいけない、全員が修猷館には行けない。しかし、落ちた悔しさはなぜ劣等感に転化するのだろう。
申し訳ないが言わせてもらうなら、それは努力が足りなかったからだ。一分一秒もこれ以上勉強できないというほど考えたか、これ以上勉強したら死ぬというほど英語の長文和訳を考えたか。
何かに合格したとしても、すぐまたその上の階段が立ちはだかる。
その階段の上に行けなくて悔しいのは、本人がぐうたらだからに過ぎない。全力を出し切ったら階段は消える。
浅原は一時期まで凄まじい勉強をしている。正確な仏教理解だ。努力の地平に「滅諦」が見えたに違いない。
劣等感が嫌なら努力するしかないが、最初っからあきらめるのもよい方法だ。そうかな? それでいいか、本当にそれでいいか。