か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

クリスマス。サンタさん、ランドセルを下さい。

2013年10月28日 | 日常

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男性は福岡県出身。母は3歳の時に亡くなり、実父とされた人物には「俺の子じゃない」と言われ、親戚らの家を転々とした。
あだ名は「捨て子」「みなしご」。11歳の時に預けられた家で「お前がいるから家庭がぎくしゃくする。謝れ」と言い放たれた。
「生まれてきてごめんなさい」と口にした時、「この人生を受け入れよう。大人になったら自分のような子どもの力になろう」と決めた。                      毎日新聞 10月28日

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彼は昔、自分が小学校一年生のとき、お願いをした。「ランドセルください。」

入学式は4月だ。終業式の7月には、工作や作文ノートやお絵描き帳を鞄につめ両手に持ち、両足が浮くような気持ちで家に帰る。何と言ってほめてくれるんだろう。という普通の小学生が持つ感情を、持てないでいる子供が確実に存在している。

皆がする様にクーラーの部屋に帰り「夏休みの友」を開く。お母さんから怒られるほど後を追い、子供は楽しかった学校の話をやめない。皆早く帰ってきてお膳を囲み、おもむろにお父さんに通知表を渡す。

彼のお願いというのはこんな日々が来ることだった。しかし、その願いがかなうことは、ついになかった。大人になってしまったら、どこにお父さんに渡す通知表があるんだ。お絵描き帳の話を聞いてくれるお母さんがどこにいるんだ。子供のほんの一時期にしか子供を包んでくれない幸せのオーラというものがある。その幸せは逃したら二度と来ない。

「楽しかったかい」「頑張ったね」この一言をかけることもなく子供のさみしい背中に気づかない。気づけよ、なあ。かなしい大人達。

大人はどうしてだれとでも寝るんだ。家庭を壊して何ともないんだ。2学期の終わりに彼が一番欲しかったのはランドセルだ。自由研究やお絵描きや漢字ノートやパン工場見学の様子を満載して帰ろう。ところが、もう見てくれるお母さんはいない。みんな持ってるランドセルもない。

サンタさんにランドセルを頼んで、という必死な願いを父親は一蹴した。それどころか彼自身を家から追い出し育児放棄した。

やい、性欲猫。産んだ子供の成長より性交がいいか。「お父さん、お母さん。僕の2学期を、ほめて」という子供の叫びを聞け。

父親も親せきも「お前がいないとなあ」という言葉を吐く。さらには、小学1年生の子供に、「生まれてきてごめんなさい」と言わせ鬱憤を晴らす。

彼は、2学期の終業式までランドセルなしで頑張ったのだ。叫ぶようにサンタさんにお願いしているじゃないか。もはや、家庭なんてどこにもない。ないのに求め続けて大人になった。

たくさんだ。もう第二第三のおれを作りたくない。ランドセルの数が余っているだの、売名行為だの、屁理屈はたくさんだ。こんな彼の止められない行為を、冷笑してはいけない。

効果的だったかという問題は副次的な問題だ。人間は、法だ、道徳だ、慣習だとつまらんものに拘束される前におのずと体が動いてしまう使命を感じるときがある。

みんな持ってるランドセルを一人持たずに学校に行くことは、子供にとって死ぬほどのことだ。たしかにランドセルは高価だ。だったら、買えなくてもいい。子供は理解する。買ってやれなくてごめんね、というお母さんの悲しい顔を見れば納得する。しかし、そんな思いやりに満ちた悲しい顔は、ついぞ見ることができなかった。

僕も不要品として育った。親の暴力で体がおかしくなった。大学に通ったときだけ親は人に自慢した。親が望むものはすべて与えたのに、僕の欠点ばかりあげつらいそれを心から楽しみ、挙句の果てに出て行った。残ったもう片方の親は、この時とばかり浪費した。

タイガーマスクが求めたものは、一個や二個のランドセル寄付による偏狭な自己満足ではない。「やさしいまなざし」を与えあうことではなかったかと思う。僕もそれがほしかった。やさしいランドセルがほしかった。


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