か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

七千五百万円のブーケ

2014年10月23日 | 思想

プラチナも細い糸にして織ると、本物の有機質の葉のように滑らかに揺れる。葉の根元からは何十というダイヤが咲いている。高さ30cmのブーケの中には宇宙があった。

ダイヤといえばすぐ何キャラットだとか、真珠といえば8ミリを自慢するニワカ成金もいたが、本物もいた。本物は、静かで、笑顔で、聞き上手だ。貧乏人は、銭を持っても下品だ。騒がしく、いつも何かに怒り、われ先に話そうとする。

ブーケから、結婚式の主役はブス新婦ではなく私(ブーケ)だという声が聞こえた。

色を見ろ。ダイヤは、田舎に行って満天の星を眺めるようだ。澄んだ空気に所狭しと星は輝く。目が充血している貧乏人は、純白無垢の真珠の価値が分からんだろう。真珠の白は、Wedding derssの白に負けてはいけない。

職人数人がかりで数年かかった。あと20年したらもう作れなくなってしまう。人がいなくなる。

生まれて以来、気違いは、本物に感動したことがないので、「なんにするんだ。誰が買うものか。資源の無駄だ。格差社会を象徴する富の自慢ごっこだ。」とひがむ。

ドイツでは、無能は犯罪だった。

この技術は買う人がいてこそ継承されていくものである。百均の中華指輪にしろ7500万のブーケにしろ、それが売れた時点で、それぞれそれなりの再生産を約束している。

僕らは、「モノの価値を見分ける力」を大事にする文化の中に生きてきた。どうせ偉そうにとか、分かったふりしてとか、お前買ったのかとか、本質でないところでひがむのだろう。僕のことはどうでもいい。

「モノの価値を見分ける力」をつけようとしない低脳な人は日本のゴミだ。

あまり行かないので知らないが、100円Shopは低質台所用品、哀しいパーティ用品(ケバイ、ぼろい)、花が枯れる園芸用土、つめを切ると刃のほうが飛ぶ爪きり・・・。先日工具を盗られたので一部買いに行った。良かったのはこれだけだ。

一般に良いものは、気絶する価格ではあるにせよ、社会文化歴史に貢献し、われわれの心を豊かにしている。見る目を持つ人は少ない。だからこそ分かる人は責務を負う。

何億年も石に埋もれたプラチナを、海底に潜んでいた真珠を、暗黒の岩石の中のダイヤを、人間はこうも昇華した。職人さん、僕らはこんなプレゼントをもらっていいのですか、と思った。

申し訳ないが、昨日のピザの箱を流し(シンク)に投げ込みっぱなしの家庭の人に分かろうはずがない。流しは狭く、ピザの空き箱は斜めにしか入らない、ケチャップがそこらじゅうに付着している。たまった洗い物。怠惰と貧乏の悪循環だ。

そんな人に日本文化の伝承ができるか。文化より金だろ。子弟の教育より酒だろ。

素養のない人がいたるところで怒号と罵声を振りまき日本文化を破壊し、マナーの悪い買い物をしておきながら、日の丸を振り日本文化を絶叫し半島をばかにする。

見よ。それら一切の瑣末な不愉快から断絶して孤高の光を放つBouquetを。

貧乏の恐ろしさは、そういうアホ人間から努力と英知の結晶を遠ざけてしまうこと、さらにはアホが原始人に戻っていく自分を自覚できないことだ。アフリカの土人とともにエボラで死ね。

ブーケは、ロトに当たった貧乏人が買うかもしれない。しかし、貧乏人は、すぐ飽きてフェラーリを買う。3台来るぞ。そうして日本文化は死ぬ。彫金細工は、本来わが国のお家芸だ。よその国は、まねできない。

会場の係りの人に聞いた。「売れますか?」 自信たっぷりに、「まあ年末をめどにお客様方と相談させていただきます。」 わかるか。Offerはすでに複数あるのだ。

Bouquet Tossはさすがにないだろうが、花嫁の喜びはいかほどであろうか。

女は、書類を持って会社を右往左往するな。自分の部屋の7500万のプラチナブーケを眺め博多座に観劇に行こう。

(写真は許可を得ている)









 

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