ベンツはいつも思うが露骨なラインアップをする。貧乏人が真似事ベンツを買ったとき分かりやすい目安として、A,B,Cとおいた。だれも言わないけど同じベンツでもそこには天と地ほども開いた車格というものがある。
否定はできないでしょ。その次はやや貧乏な人用のEクラスだ。そしてクルマらしいSと続く。ベンツ乗りは十分ご存じなことで僕ごときが繰り返す失礼をお許しください。
僕は貧乏人用のベンツEクラスに乗ってきた。人生を過ごしていく以上、有頂天になるときもありその逆に悲嘆にくれるときもある。
人生がうまくいって舞い上がっているときは、もう少し気のきいたインテリアはないのかとクルマに腹を立てる。悲しいときは悲しいときで少しは俺の悲しさに応えろよと八つ当たりをする。しかし、いかなるときもEは飾らない。
排気量の割にはたいした力もなくスピードもでない。安全に関してはやや秀でるところがあるが、僕の一番関心のないエコとかいったことばかりよく考えている。望まないところで頑張っているバカだ。悲嘆にくれた僕をいやすにはEは材料に事欠くようだ。有頂天な僕を楽しませるスパルタンな走りは夢の夢だ。
だったら15年も手放さないで乗りつづけたのはなぜなんだ。
それはEがウスノロの下僕でありつづけたからだ。彼はけっして自己主張をすることがなかった。最近のクルマはうるさい。曲がれだの止まれだの到着しただの言うな。運転は俺がする。音に鈍感な人たちは決まって下品なクルマに乗る。音楽は家で聞け。電話をしながらフラフラ酩酊した運転。泣き叫ぶガキをあやしながらよそ見運転。いっそ母乳を与えながら運転したらどうか。
高速を南下して貧しい争いの雑踏から解放された時、下僕は至福のオーラに包まれた。
Eのさみしいインテリアを嘆くバカがいる。そんな人は日本車に乗ればいい。ぴったりだ。パチンコ台みたいにキラキラしているぞ。
車とは何か。たかが道具だ。僕のEはいま日本のどこかを走っている。Eシリーズのコレクターにあげた。いまみたいにベンツが安くなかった時代の傑作だ。
クルマが安くなったらおしまいだ。高ければ高いほど人は獲得しようと努力する。そうだ。石にかじりついてでも努力して金を稼ぎクルマと名のつくクルマに乗れ。
僕のEも空から降ってきたのではない。ショウルームのお姉ちゃんに煉瓦みたいな一万円札の束を払ったとき、人生の夢の何分の一かを獲得した気になった。