石原莞爾らが策動した満州国もわずか13年で泡沫のように消えた。「東夷」の小帝国日本は石原らの策動を口を開けてみているしか能はなく、せいぜいできたのがその謀略の追認だった。
遼東半島を再び我がものとした日本は南満州鉄道警備という名目で関東軍を満州全域に配置する。日本内地には関東軍の強さが盛んに喧伝された。100万の軍隊、最強の武装。
ソ連の侵攻とともにそのウソはばれる。わずか1週間で関東軍はあとかたもなく消えた。雑兵の寄せ集めが近代兵器の前になんの役に立とう。このとき皇帝溥儀もソ連軍に拘留される。
彼は卑怯にも自分は日本軍の傀儡だったと戦犯裁判で告白する。たとえそうであっても自分の意思で皇帝になった男だ。数十万の兵と民間人が死んだ戦争の責任がないとは言わせない。
ときはややさかのぼって、「あじあ号」がまだ走っていたころ、官立大連高等女学校の学徒4人が新京(長春)に向かった。まだ16,7歳の女の子だ。初めて乗る列車に狂喜した。食堂車、展望車、エアコン。8時間の新京への旅は一瞬だったに違いない。
動輪2メートル、時速145キロ。まさにアジアの怪物だ。男性が万歳をしてもとどかない動輪、これが回って145キロ出すのか。世界水準には遅れていたが日本の鉄道省が心血を注いだ傑作だ。
いつまでもいつまでも話が尽きない少女達。彼女たちは新京につくと愛新覚羅溥儀に拝謁する予定だった。しかしそれより新京までの旅行が楽しいようだ。
クルマが待機していた。宮殿につくと日本の軍人が部屋に案内した。一時間ぐらい待たされるとまたべつの部屋に案内された。そこで拝謁にあたっての注意をうけた。けっして見てはいけないこと、話しかけないこと、何か言われても「はい」としか言わないこと。
どこにもひねくれ者はいるもので、顔をあげて溥儀の顔を見た女学生がいた。
あの人は目が悪いのかな、私たちの前でサングラスもとらなかったよ。下賜品、そんなもんあったかねえ。
僕だったら緊張で貧血をおこすところだが、戦前の女は強い。溥儀は女学生と目線があってあきらかに動揺した。
大連で成績のよかった女学生4人のみが溥儀と会うことができたそうだ。うちのばあちゃんは強い。